AQUAMIXT にも多くのセラピスト、ヒーラー、カウンセラーの方々が相談にやってきます。これもひとえにパートナーの寛子とふたりで切磋琢磨してきたことが認めてもらっているのだろうと思います。
僕ひとりだったら、メンターがいなかったら、応援や感謝してくれる人とつながらなかったら…、僕は被害者意識を持ち、責任転嫁の上手な自分を正当化する、面倒臭い男になっていたでしょうか。(その傾向は今もありますけども…)
さて、人の心の触れることが多い僕たちが気を付けていることをブログでも何回か書かせていただきました。
- 人の怖れをありのまま見ること
- その怖れは自分の中にある投影であることを認めること
- 未来へのヴィジョンを共有するとともに今の祝福を受け取ること
- 希望という「希な望み」を未来の「予定」に変える覚悟や楽しさを味わうこと
などが、セラピストと呼ばれるようになって感じていることです。
「このようなことはしない僕たちでありたい」という別の言い方をすると、
- 人の怖れをその人だけの責任にすること
- 自分の投影を棚上げすること
- 未来のヴィジョンで人を駆り立てること
- 権威や威光を使って人の依存する弱さを引き出すこと
- 希望や期待で相手の「今の痛み」を紛らわすためにモルヒネを注入すること
と言えるでしょうか。
セラピストとして何かしらの成長や祝福は、こうした人生への姿勢のおかげで遅れてやってきます。すぐにその成長を見てとれるような「お誘い」も多いですが、そこに美しさを感じません。
「売り上げ」
「見栄えする資格」
「リターンの早い報酬」
「SNS付加価値活用」
「戦略的な出版」
「付加価値のある人脈」
先日のブログでは、
→「今を大切に生きる オラクルカードセラピスト養成講座」
期限を設けて相手にコミットメントを引き出すような手法やその危険性にも触れました。
約束は他人とするといつの間にか「要求」になることが多々あると僕は思います。パートナーシップや親子など、期待してしまう人間関係ではよく不具合が生じます…。
「要求」を「する側」「される側」という感覚を抱えていると、人が本来持つ「誠実さ」「素直さ」「情熱」が隠れてしまうように感じています。
関係性が変わってしまう怖れがあるということですね。
相手とした約束は、交わされた時に感じた相手の気持ちだけで完結しています。
実際にその約束が守られるかを気にしているのは「要求」です。
約束はするものではなく、その時の相手の気持ちを感じることと言えるでしょうか。ついつい約束を重要視して意味を持たせすぎます…。
相手が守ろうとした気持ちそのものが「約束」という意味です。
「約束」=「要求」とするか、
「約束」=「思いの表現方法」とするか、
で人生に対する姿勢が変わるでしょう。
さて、
僕が20代の頃にスーパーマーケットの青果部で働いていた頃のことです。
スーパーのレジスター部門の女子社員の中には、昼間はレジをして夜はスナックやキャバクラでアルバイトをする子がありがたいことに少なからずいました。
女子社員をひやかしに行くという名目で先輩や後輩とキャバクラに騒ぎに行くことがありました。