自己実現は偽りのない自分が鍵
自宅サロンでセラピーを提供しています。
2002年、寛子と同じヴィジョンを持ち、お互いの経歴などを知らずに出逢ってすぐに結婚をしました。
- 個人が物質的にも、精神的にも豊かになる機会に提供
- 自宅でセラピーサロンを運営する
そのようなヴィジョンを持ち続け、こうしてAQUA MIXTが多くの人に知っていただくようになりました。
ヴィジョンというと大袈裟ですが、未来の方向性とイメージと言い換えられるかもしれません。
何が何でも達成するぞ!というような目標ではなく、かといって実現不可能な夢のようなものでもありませんでした。
自分たちがあるべき姿でいれば、その未来はやってくるだろうなという前向きな期待感でした。
自分たちのあるべき姿とは、
「自分たちの感情に正直であること」
「マイノリティ(少数派)を怖れず、受け容れること」
「どんなことでもパートナーと分かち合うこと」
「遠回りこそ、近道であると氣高く生きること」
「怖れや不安に人生の舵を取られずに直感を信頼すること」
…などです。
心理学用語であるマズローが提唱する「自己実現欲求」の定義は、「偽りのない自分の姿で好きなことをして、それが世の中への貢献につながっている」とあります。
自己実現に至る道程を楽しもう
世間には、僕たちの欲求や本能を刺激し、足もとをすくうものがたくさんあります。
どんなものがあると思いますか?
どれも他人事ではなく、僕ひとりだったら、足もとをすくわれるものです。
指摘するパートナーがいることにいつも感謝しています。
あなたはいかがでしょうか?
できるだけ、僕自身、そうしてものに足もとをすくわれることを少なくして、自分たちのあるべき姿(価値)に向かい続けています。
そのために、通るプロセスがあります。
それは日々の小さなものから、大きなものまで。
「手放した先に豊かさがある。」
というものです。
「手放す」という言葉について僕たちなりの定義があります。
それは、
「手放すということは、受け取ること・受け容れることと同時に発生する」
ということです。
骨を咥えている犬に食事を与えようとすると、咥えていた骨を離してしまうようなものでしょうか。
反対に、咥えている骨を犬から離そうと引っ張ると余計に強く噛んで離さないものです。
また、禁煙しなきゃと言いながら、タバコのことを四六時中考えているなんてことも少なくありません。
ですから、
「彼に執着している限り、新しい彼氏はできないよ。」
「お金への心配をしている限り、豊かさはやってこないよ。」
などの言葉は、「手放せば受け取れる」という感覚でしょうか。
自分に対する脅しとも捉えられます。
いつの間に条件ありきの法則に成り代わっています。
相談者の中には、
「なかなか手放せなくって…わたしってダメですよね?」
と言われる方もいます。
まったくそんなことはありません。
心から大切だと思えるものを見つけよう
カウンセリングでは、禁煙しているのに、始終タバコのことを考えている彼にも、禁煙したいと思った気持ちに寄り添ってみたらどうでしょう?と言うでしょう。
きっと、家族が大切だったり、未来の健康を思ってだったり、という氣持ちがあったと思います。
家族を大切にできる自分になれるだろうか?
健康になったとして、それでいったい自分は何をしたいだろうか?
その氣持ちを感じる際に出てくる「どうせ、自分にはそれは相応しくない」という怖れを受け容れることが、すなわち、タバコを手放すことに繋がると感じています。
別の例で言えば、
新しい彼が欲しいというポーズを見せながらも、昔の彼に執着している彼女にも、彼のどんなところが好きだったか?感謝しているか?憎んでいるか?をカウンセリングでは問うでしょう。
執着するくらいですから、忘れたくない思いもあるわけです。
彼はこんなわたしを大切にしてくれた。
その彼が裏切ったことが許せない。
今ごろ違う女と幸せでいることが悔しい。
その気持ちを感じている際に出てくる「こんな醜いわたしを愛してくれる人はいないだろう」という怖れや不安、自己不信、自己憐憫、それでも彼に感謝している自分などを受け容れることが、すなわち、昔の彼を手放すことに繋がると感じます。
自己実現は自分の心が決める
自己実現のプロセスに、感情を味わうことがあります。
自分が何を感じているかを自分が分かっているということですね。
悲しいのか、悔しいのか、寂しいのか嬉しいのか。
そんな自分と対話するのが、自己実現への小さな一歩です。
自己実現に向かう道は、そのような小さな自分の選択にかかっています。
他人の期待や社会の評価に縛られるのではなく、自分自身の内なる声を尊重し、自分が本当に望む未来を追求する勇気を持つことが求められます。自己実現は人生の旅でもあり、目標でもあり、内なる心の力で築かれる素晴らしいものです。