私が物心ついた頃からずっと、母がよく繰り返し後悔して口にしていることがありました。
弟が生まれる時に1ヶ月半、祖母の家に暮らした私。
当時2歳だった私は、両親と新しい家族と離れて暮らしました。
母が言うには、それ以来私は全く親に甘えない子どもになり、とても寂しかったと。
出産産後がどんなに大変でも、子どもを預けるのでは無く違う選択があったのだろうと。
もし預けていなければ、こんな距離も出来なかったのでは…と。
そしてあなたが子どもを産むときは、上の子を預けるのでは無く、一緒に帰ってきなさいね、と。
長い間、母にとってそれは呪縛のような後悔だったように感じます。
幼少期の私は、母のそんな言葉を聞いたからと言って上手に甘えられるようになるわけでもなく。
母のためにもっとしっかりしなくちゃ、と長女氣質をひたすら育んだのでした。
今でも、母はこの話をします。
かなり寂しい思いをしたようです。
2歳の私は無意識に、母へどんな感情を抱き溜め込んだのだろう。
当時の私が違う境遇で過ごしていたら、また違ったのだろうか?
母との関係も、また違うものになっていたのだろうか?
母が望むような関係に、なっていたのだろうか?
誰にとっても、「あの時こうだったら、どうなっていたのだろう?」という人生の出来事はあるでしょう。
そして、後悔の念や、他に正解があったのでは?とか。
心の時間は、そこでグルグルしてしまうかもしれません。
そこまで後悔をしないとしても、ちょっとした違う選択が出来たのかも…なんて場面も、思いかえすと私も色々あります。
小学校時代に熱心に取り組んでいた吹奏楽。
中学校に進学したときに、吹奏楽部か硬式テニス部かでとても悩んで…どちらも活動日が多く両立が出来ないからと、結局テニス部を選んだこと。
でも、音楽も何らかの形で続けたかった。
あの時吹奏楽部の方を選んでいたら、どうなっていたのかな。
いつも音楽の先生に、合唱部に勧誘されてて。
それでもテニス部優先で、いつも断っていたけど。
ちゃんと歌をやっていたら、どうだったんだろう?
・・・
中学高校時代を振り返ると、私は「音楽」というキーワードがたくさん出てくることに氣付きました。
他にも、進路についても。
大学進学、他の選択肢に上がっていた大学に行っていたら?
大学院か就職か、大学院を諦めて就職したけれど、研究職を目指し続けていたら?
就職。
ご縁で就職した会社だったけれど、別の会社を選んでいたら?
IT業界ではなく、別の業界に就職していたら?
私は出逢うはずだった人とは出逢えずに、また別のソウルメイトと出逢っていた?
あの時将来を誓い合ったのに、上手く行かなくなってしまった彼氏と。
ちゃんと向き合って素直になって、関係が続いていたら…やっぱり結婚していたんだろうか?
そうしたら、ダメンズに振り回される不運な20代を送らずに済んだ・・・?!
選択肢の大小はあるけれど、どれもちょっとずつ、気に掛かっていたりする。
どこかで、自分は間違ってしまって、正解は別にあったのではないかとか。
私の人生、2歳の時から母に「間違った選択をしてしまった」という後悔から始まるスタートで。
その影響か、「もっと、こう出来たのでは・・・」と考えてしまう癖は、母譲りかもしれません。
けれども、ライフレビュー(人生の振り返り)をサポートする大天使ジェレミエルの力を借りて、一つ一つ過去を完了させてきたように感じます。
どんな選択にも、正解もまちがいもなく。
間違い探しを止めたところから、今という刻(トキ)が動き出します。
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