おはようございます。潤治です
先日、スーパーへ買い物へ行きました。
種無し巨峰、ピオーネがとても好きな僕は、売場に行くとぶどうコーナーに
いくとテンションがあがります。
家でのぶどうタイムは至福の時です…
種無し巨峰と商品名に書いてあったのに、ばっちり種のある巨峰に愕然としながら
朝のフルーツタイムを過ごしました。 …ショック。
種無し巨峰、ピオーネの季節を今年は大いに楽しもうと思います。水を含んでいる
果物を食べている時に感じる幸せはなんともいえません。
その水はどこからやってくるんだろう…なんて思いを馳せていると…。
果樹園に雨が降り、それが土の中に吸収され、種から、太陽のエネルギーを浴びて成長した樹が土の中でろ過された水をゆっくりと吸い上げていく…
ろ過されるために、いろいろな微生物・土の力をかりて、その水は命ある水に、さまざまな自然の思いを受けたものになっていく…
それを時間をかけて、見守る生産者がいて、大切に収穫して、箱詰めする人がいて、輸送してくれる人がいる…
スーパーでそれを入荷させる人がいて、荷おろししてくれて、売場に並べてくれる人がいる…
とても大きなサイクルの中にいる自分を感じます。
その過程に多くのコミュニケーションがあり、そこから生まれたものも一緒に食す自分がいる…。
多くの恩恵が、ぶどうを食べるという行為の中にあります。
「 観じること 」 で、今までは見ていても、観えなかったものが、あたりまえのように思えてくるから不思議です。
さまざまな恩恵の中に自分がいるということを観じるために、必要なことは
「 受け取ること 」 かもしれないと思います。
今の自分がすでに受け取っていること
今の自分…
受け取っているものに感謝することで、さらにさまざまなものを観れるようになる
それは、今までは見えなかったものであり、でもそれはすでに存在していたもの…
それを「 観じること 」 で、今までの世界を変えていくかもしれません。
自分自身の作り上げていた世界がさらに可能性の満ち溢れる世界になるかもしれません。
観えないものを観じることで、自分が想像してもいなかったような才能や力を受け取るようになるかもしれません。
「 受け取ること 」 は、「 つながること 」 です。
分断された肉体というものを持つ僕たちが、
実は観えない世界では、「 つながっている 」
セルフイメージは、肉体という枠を持ったものではなく、
肉体を越えて、自分を取り巻くもの、人、地球や、宇宙ともつながっている…という意識から変化していくのかもしれません。
枠を設けないセルフイメージは、「 感謝すること 」 で、さらに広がっていきます。
感謝すること…すなわち、「 まわりを観じること 」 が、他己を受容することにもつながり、結果的に自己受容をうながします。
自己受容して、セルフイメージをあげていくには、まずは「 受け取ること 」 からはじまるのかもしれません。
そんなことを「種あり」巨峰を食べながら、思う潤治なのでした。(きょうのわんこ風)