人生いろいろ、愛し方いろいろ

ハッピーライフ

こんにちは、潤治ですひらめきEE133.jpg
今はお申込受付を締め切っていますが、AQUAMIXT の裏メニューだった 「潤治の恋愛処方箋」 におかげさまで少なからずお申込をいただきました。本当にありがとうございます。恋愛という自分の姿を等身大で見られる機会をさまざまな方たちと共有することが出来ています。
自分自身の恋愛経験で気づけなかったことも、皆さまの体験、思いから学びが深まり、僕自身の気づきにもなります。
そこには、愛という形のないものをいかにその人その人で受け取り方、表現の仕方が違うかという学びでもあります。恋愛だけに限らず、両親・友人からの愛の表現にも当てはまることです。
言葉で “愛” なんて表現するととても素敵なものに見えてしまいますが、
愛って何なんでしょうか?


◆その人のために犠牲になることが愛
 どうぞ、僕を踏み台に…
◆その人を心配することが愛
 君は僕がいないと駄目な子だね…と自立を妨げる
◆その人のために、自分は不幸になろうとすることが愛
 僕が不幸になれば、少なくとも君は僕より幸せだ…
◆その人に依存することが愛
 あなたをどんなに必要にしているか分かってくれる?
◆その人を傷つけることが愛
 両親に傷つけられたから、抱きしめるよりも先に傷つけてしまう
◆その人のために我慢することが愛
 こんなに我慢しているから愛しているということにならないかな…。
◆裏切らないか試すことが愛
 裏切られた経験を癒やしたいのに、遠ざける心理…
◆こんな私でも愛せる?と試そうとすることが愛
 その人の愛を相手を利用してしか確かめられない苦悩…
◆その人をコントロールしようとすることが愛
 僕の思い通りになることが君の幸せなんだから…
◆その人を応援することが愛
 君が自分らしく生きることをサポートするよ…
◆その人と人生を楽しむことが愛
 お互い自分の人生に責任を持ち、励まし合おう…
◆その人の成長を見守ることが愛
 君がいてくれるだけで幸せ、それが僕の力になる…
…どれも愛と呼ばれるものかもしれません。
どれも間違っているわけではありません。
その人その人の精一杯の愛の表現かもしれません。
愛という言葉で、いろいろな気持ちを深く考えることなく、思考停止してしまうとしたら、
それは危ういことかもしれません。
私たちの気持ちは、メディアの情報や、
誰かを真似た知識で代弁することはできません。

それはあくまで、自分と向き合い、自分の心を感じながら、
生きることで感じられるように思います。言葉にならないかもしれません…。
愛はその人との間で育んでいくものだから…。その花はすべて違います。

自分と向き合う鏡として、奇跡的にいろいろな人が私たちの目の前に現れてくれます。
目の前に現れるパートナーは、私たちの成長する可能性を見せてくれます。
さまざまな感情に、成長するヒントが隠されています。
それを機会として、受け入れるか
疎ましいものとして責任転嫁してしまうか

私たちは選択する権利を持っています。
何事も天からのプレゼントだと思っていたいなと思うのでした。

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