こんばんは、大根の消化酵素 ジアスターゼを摂取すべく、生で大根を食す日々が続いている潤治です。
酵素は熱に弱いので、生のまま摂ることが理想です。
大根1/2本を菜麺器で麺状に切り、胡麻油・醤油・米酢を各大さじ2、てん菜糖小さじ1、お好みですりごま大さじ1で味付けします。大根のしんなりするまでかき混ぜて出来上がりです。
(きゅうりの輪切り1本・わかめやめかぶを入れてもGOOD!)
大根の消費量が増え、酵素も摂れ、胃腸の調子も回復する優れものです。
(家計も大助かり!大根だけで生きられます!)
我が家では、よく使う食材、使わない食材があります。
買い物担当の潤治が苦手なものは数年単位で購入しないこともあります。
数年前はキャベツや大根、長ネギなどがそうでした。
どれもが寛子の大好きな野菜と知ったのは結婚して数年が経ったときでした…。
食べ物の好みで喧嘩することはあまりありませんが、
考え方や価値観で衝突することはよくありました。
今でもありますが、あるひとつの考え方、感じ方によってその衝突は激減しました。
パートナーシップにおいて、
お互い、異なる環境の中で育ってきたのだから、
受け継いできた価値観が違うのは当然のことです。
この違いにどう取り組んでいくか?
これがパートナーシップを、
妥協点の集合にするか、相乗効果の宝箱にするか、衝突のもとにするか…
が決まってくるように思います。
受け継いできた価値観は、お互いの人生の中で正当化されています。
たとえば(小さいことですが…)、
トイレットペーパーがなくなったら交換しておく
コタツを離れる時はその都度、消す
汚れた食器をシンクに置く際、水をかけておく
定位置定管理を心がける
脱いだものは畳んで置いておく
洗濯物のポケットの中身は確認してから洗濯かごに入れる
お風呂を沸かしたら、あまり時間をおかずに家族みんな入る
義務を果たしてから、楽しむ
…などなど
どれも、ある正しさのようなものを持っていますが、
それを絶対的な正しさとして扱わないことが大切です。
思いやりのある行動をとるため
電気代がもったいないから
人に迷惑をかけるから
そんな言葉で、その価値観を正当化し、
それをパートナーに押しつけてしまうことがあります。
絶対に間違っていない
自分のほうが正しい
世間の価値観に照らし合わせても何ひとつ、間違っていない
でも、ある時、思うのです。
僕の感じていることが真実だとしたら、
なぜ、感情的に苦しむのだろう?
パートナーシップを愛から実践できないとしたら、
そこには重大な間違いがある…と。
「お互いがお互いを認め、許し合い、高めあう」
それが真実で、僕たちの誰もができることだとしたら、
その場所に行く道程を踏んでいないかもしれない…と思うのです。
僕自身の価値観の正しさで、相手を裁き、傷つけているとしたら、
それは何か違う道のりがあると教えてくれているのだろうと感じるのです。
違う道のり…
それを見つけることがさらに安定したパートナーシップになっていきます。
しかし、その作業はとても面倒で、
お互いの価値観に踏み込まざるを得ませんでした。
お互いの価値観に踏み込む大変さを思うなら、
ひとつの答えが欲しいと思ってしまいます。
…次回 「その価値観は許されている」 に続く。
人生における大切なエッセンスを感じる感覚を磨く
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