コミュニケーション能力ゼロの男

ハッピーライフ

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
怖がらないでいいよ。
多摩市聖ヶ丘のセラピールームで、スピリチュアルカウンセリング・コーチング、シックスセンス整体施術、菜食料理教室(ローフード・マクロビオティックなど)、など「癒し」を扱う仕事「ふたりで」しています。
自宅で仕事をしているので、今回のマタニティライフはいろいろと助かることが多いのでは?と始めは思っていました。
寛子がつわりでたいへんそうなら、家事はやってあげられるし、身の回りの世話だってできるよ…など仕事との両立をふんわりと軽めなイメージをし、マタニティライフに臨みました。
妊娠初期など、子供を授かったねぇ~のハッピーライフかと根拠もなしに思っていました。
ふたりとも健康志向なので、つわりで苦しむなんてあまり関係のないことかもとやはり根拠もなしに思っていましたね…。
小学生の頃、女の子とキスをしたらレモンの味がするらしい…
といった妄想に近かったです。


実際、妊娠初期は寛子がワークショップやセッションを終えると廃人状態になり、
家政婦+ホームヘルパー といった役割が必要になっていきました。
妊娠初期ってこんなにたいへんなものなの?
今まで電車で席を譲っていたのは
お腹が目立ってきた妊娠(中・後)期の人ばかりだった…
妊娠初期に働いている女性も多いし、身体は楽なのかと思っていたわけです。
(キスをしたらレモンの味 状態)
肝心な妊娠初期で辛かった人には席を譲れていなかった?
など思い返し、ハッピーライフの妄想は打ち砕かれ、
現実の妊娠初期をふたりでどう乗り切るか
という課題になったのでした。
ましてや、仕事場が自宅ということもあり、気になることが増えます。
やってやれないことはないけど、
今は手をつけられないことがじわじわとストレスとなっていくのです。
仕事量も決められているわけではなく、
自分でやりたいだけできるし、制限がないので、
知らず知らずに身体や心に負荷がかかってしまっていました。
あの元気な寛子はどこにいった?状態が続く日々に、
夫という感覚よりも、家政婦&ホームヘルパー的な感覚が強くなっていくわけです。
そこに妊婦ケアという新しい役割が加わり、にっちもさっちもいかなくなり…。
仕事に対しては、「おあずけ」をされているような気持ちになるし、
やりたいことをやりたいようにできない切なさが募り、
妊娠初期は夫婦共にうまく歯車が噛み合わなかった感がありました。
この時、思ったわけです。
「ふたりにとって一番大切なものは、ふたりが仲良くすること」
「生まれてくる子が胎内で、ふたりの間で安心して過ごせること」
「共通のヴィジョンを持って、家族を運営すること」

それらを大切にできるか?
が、本当に求められていることで、
パートナーシップにおいて深くコミュニケーションすることなのでは?と。
なので、家事をしてあげられる
身の回りの世話だってできるよ ということも大切ですが、
本当に大切なものは、

「ふたりがコミュニケーションした結果、仲良くいられるか?」

なわけですね。
なので、家事や身の回りの世話といったことは、
相手を思いやるひとつの手段だということに過ぎないわけです。
家政婦もホームヘルパーも仕事として
きっちりとやってくれる業者がいてくれるのですもの。
外注できるのです。(親類も含む)
その役割を、自分だけでこなそうとしている自分の姿が浮き上がってきました。

僕がやるからいいよ。
僕がいるのに、なんで他人に頼むの?

まるで、高校生の時に付き合っていた彼女に、
「僕がいるのに、●●先輩と楽しそうに話す必要はないんじゃない?」
といった「若かりし傲慢な自分」が鮮明に思い出されました。
そして、寂しん坊駄々っ子の自分も…
家事や身の回りの世話といったことは、
相手を思いやるひとつの手段だということに過ぎない
それは好きな人に想いを伝えるために手紙を書く際、
「字が上手だね」ということと同義のように思えます。
字が上手なことに一生懸命になっても、
相手との関係は深まらないだろうし、
相手に想いも届かないでしょう。
一番大切なものは、
「相手を思いやること」
相談しあって前に進むこと(二人三脚状態)
と簡単な言葉で言い表すことができますが、
そのために自分の傲慢さやプライドを手放す必要があり、
パートナーに対してこう思われたいという自分本位な心の動きも自分で理解して、
パートナーと関わっていければいいなと思います。
ああ、気づきの日々よ…
字が上手になることに一生懸命だった僕のパートナーへの姿勢が、
今回、あぶり出されました。
そして、本当にコミュニケーションを取るということ、
その考え方への扉が開いたように思います。

コミュニケーションは相手を理解することではなく、
相手と理解しあうことだ  
― ジュンジ・ミズモト (日本のセラピスト 主夫)

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