信じる力はとても静かな情熱 健全な自己肯定感を…

ハッピーライフ
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
癒しのポータルサイト「ココリラ(COCORiLA)」にて、読者の方からのご相談をエンジェルセラピープラクティショナーレジスタードマーク(ATPレジスタードマーク)が受けるコーナーがあります。
天空の相談部屋
3月度は寛子の担当でした。
AQUA MIXTのサービスであるメールリーディングとほぼ同じ形式、文字数でお伝えしています。

メールカウンセリングは、メールのやりとりを通して、天使のメッセージの理解を深めていくものです。潤治、もしくは寛子のコーチ、心理カウンセリング経験からもお伝えしていくものです。遠方の方、お時間のない方、メッセージをゆっくりと腑に落としたい方にオススメです。
今回のご相談内容に似たご質問は
AQUA MIXTでのレッスンやカウンセリングで多く扱ってきました。
「天使や妖精ともっと繋がりたい。」
「見えるようになって、お話ししたい。」
というものに集約されるでしょうか。
サイキックな能力、シックスセンスは誰にでもあるものです。
くしゃみをして、「誰かが噂しているのかな?」という言動があるのは、何故でしょう?
なんとなく友人、恋人から電話が来そうだと思っていたら、かかってきたということはありますか?
文章を書いていて、「書かされている」と感じたことはありませんか?
何気なく口にした歌詞が、今の自分に必要なメッセージだったことはありますか?
本屋で手にした本、開いたページが必要な情報だったことはありますか?
このような感覚や出来事を偶然と片付けてしまうでしょうか?

たとえ、それが必然と捉えても、天使と話をしたわけではない、妖精を見たわけではないと
目に見えないものを目に見えないからと言って、打ち消してしまうでしょうか。
そうした葛藤をおのおのが持つ「信じる力」が解き放っていくと感じます。
信じる力はとても静かな情熱です。
この世に生まれてきたことを肯定する思いです。
サイキックな能力は、その「自己肯定感」
支えられるものであって欲しいと僕は思います。
僕自身、サイキックな能力、スピリチュアリティをすり替えることはあります。
それは欠乏意識を埋めるためのパワーや権力であったりもします。
自分に自信がない人ほど、パワーや権力を得たがるものだと僕は感じます。
スピリチュアリティを学び、他人と差別化したい自分もいるのかもしれません。
難しい専門用語を使い、振る舞いや恰好に奇異な印象を受けることもあるでしょう。
スピリチュアルなことが胡散臭く見られることがあるのも肯けます。
自分のユニークさを信じているでしょうか。
他者と差別化したいその人の気持ちを覆い隠して、高尚なことを言葉だけで語るなら
自己矛盾が体臭となって毛穴からほとばしるでしょう。
常に目に見えない存在に守られているという感覚を持つことは大切かもしれませんが、
そこに安心感を得たいと思うことは、不安を持ち続けることに繋がると思います。
多くの占いやリーディング、チャネリングなどの結果に頼っても、決めるのは自分です。
不安を不安として、向きあう勇気が必要と言えるでしょう。
その占いやリーディング、チャネリングの結果にかなう自分を受け容れられるかは、
僕たちの内面の問題です。信じる力が僕たちを自由にするでしょう。
そうした安心感を得たいという言動は、
内面の不安に因るところが多いと僕は思います。
いくらどんぴしゃりなリーディングや占いだろうと、
僕たちの内面がそれを受け容れていなければ、宙に浮いた言葉です。
サイキックな能力を得たいという動機に、
単に人からの歓心を得たいためのこともあるでしょう。
それはサイキックな能力である必要はないかもしれません。
ブランドの時計や服でも良いし、ユニークな活動でも良いわけです。
Facebook に自分が他者とはいかに違うかを投稿しまくってもいいかもしれません。
それは人生をより複雑にする近道のように僕は感じます。
それらが一時的に人からの注目や歓心を買うことになったとします。
しかし、その能力や身につけるもの、活動を失ったり、
機会が無くなったりしたら、どうするでしょう。
それを失う怖れとともに生きていくことになります。
サイキックな能力、スピリチュアリティを何かとすり替えることは、
僕自身、日常的に感じています。
その動機が何であるのか?
自問することでバランスは保たれ、
信じる力も強くなっていくように思います。
スピリチュアルなことが胡散臭く思われる傾向があるなら、
それを語る言葉とその動機に大きく食い違いがあるからだろうと思います。
女性にモテたい!という気持ちもいささか持って、アメリカに言った男が語るのですから、
そのことに間違いはないかもしれません。
その動機に我欲が少なくなり、
より自己実現欲求となっていくところに、人間の成長を感じます。
自己不満足感を取り繕うための言動
を胡散臭く思うのは当然と僕は感じます。
欠乏意識と向き合い、生まれてきた意味を感じ、
自分の中にある愛を表現することを怖れない勇気を多くの人と共有していきたいです。
ライフパーパス個人レッスンは、その「信じる力」を人生で具現化していくものです。
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