いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
自分の過失により離婚を経験したわりに偉そうなことを口にする僕ですが、魂という玉があるなら、傷つくことも磨かれる大切な過程であるように思います。
離婚をした経験を正当化するこの男に傾倒し過ぎないようお願い申し上げます。
さて、パートナーシップについて講演や寄稿するという当時は考えられなかった現実をこの「不惑」を過ぎた身体で生かしてもらっています。
どんなに神を呪う出来事があっても、いつでも僕たちを守護する存在は手を離そうとはしません。
手を離してしまうのはいつでも僕たちのほう。
それは幸せになることを怖れる僕たちの防御本能かもしれません。
矛盾するように思えますが、人は不幸になることより、
成功や幸福に対しての怖れがあります。
それは予測のつかないものだからでしょうか。
パートナーと出逢うためにお伝えするひとつの指針は、
相手とのヴィジョンを持つことです。
その時点で自分自身がどう生きたいかを探していたり、思いだそうとしたり、
ある程度、「夢」のような目標を持っている必要はあると思います。
探している人に探しものは見つかるからですね。
その部分を本音で話し合うこと、
ぶつけ合うことは大切な試金石になるでしょう。
ちょっと恥ずかしい、怖い、億劫、などの理由で
怠ってしまったつけは後々のパートナーシップに響くと僕自身は思います。
つけを払い続けましたから。
本音で話し合うこと、
ぶつかり合うことのもたらす奇跡は計り知れませんでした。
僕はコーチやカウンセラーに個人的についてもらったことはありません。
通常、自分のコーチをつけるのがコーチングをする人の義務というか、
ビジネスモデルの一環というか、いろいろな柵みもあるかと思います。
僕の逃避癖やええ恰好しいの性格からいって、良いところばかり見せようと
セッションの効果が著しく低下する怖れはあるだろうと感じています。
もしくは恋愛講座でシェアしたとおり、
自己憐憫を使って危うい男女関係を具現化する怖れがあります。
(→バカな話だけど笑えない)
ありがたいことに名コーチである寛子とのぶつかり合いの日々は、
僕にとって逃げ場の無いコーチングの日々でした。
涙した日など数えきれません。(お互いにね)
ちっぽけなことにこだわる情けない自分
子どものように泣きじゃくる自分
怖くて震える自分、イヤイヤと駄々をこねる自分、癇癪を起こす自分
甘えられないもどかしさに苛立つ自分
愛し愛される関係から逃げだそうとする自分
お互いに首根っこをつかみ合う真剣勝負。
ひとつひとつが最高のセッションでした。
正直、毎日がセッションのような日々にはほとほと疲れ果てることもありますが、
そのリターンの素晴らしさはパートナーシップの絆が強くなること以外にもたくさんありました。
最愛の娘・精神的な成長・過去の癒し・親子関係の癒し・健康的な肉体
未来の広がり・感謝や応援のように渡されるお金・資産・売り上げ・自己信頼など
その恩恵は数えきれません。
すべてがパートナーの寛子と共に応援されるようになって具現化したものでした。
もちろん、応援してくれる人たちが創ってくれた世界を生きてこそですね。
演者をどちらが請け負うかはあまり意味がありません。
パートナーシップは最小で最強のチームです。
そのチームワークをもたらすものは、相手への尊敬です。
お互いにぶつかり合った心は傷だらけです。
その傷は僕たちの魂や精神を磨いてくれました。
ヴィジョンは信じる力を僕たちに与えてくれました。
チームでヴィジョンに向かってワークをすることで、
尊敬は生まれてくるように思います。
僕がいつも自問することは、
僕自身、パートナーを批評・批判する前に、
パートナーを応援できているだろうか?
パートナーに尊敬される自分だろうか?
です。
パートナーシップが見せてくれる世界は
穏やかで、静かな情熱に溢れた世界です。
その世界で耳を澄ましてみませんか?