私は虐待の被害者でもかわいそうな人でもない

アクセス・コンシャスネスTM寛子のコトノハ虐待

40.17_mp3_the_original_clearing_the_issues_of_abuse先日30枚Abuse ClearingのCDをまとめて代理購入し、このクリアリングを体験したいという方にもお送りしました。
(第二弾も今月中に準備中です。ご希望の方はまたお知らせ下さいね!)

そして、このCDの体験談を続々といただいています。

虐待を受けることも受けないことも、「それも虐待だった」と気づくことで自分が選択出来るとしたらどうでしょうか?

 

寛子様、潤治様

おはようございます。
今日は、台風明けのさわやかな風を感じられます。聖ヶ丘はどうですか?
そんな爽やかな朝っぱらから…
つらいです(涙)
アビューズのCD 、夜中に8回聞き終わったところですが…
私の体、元から傷んで、しびれていた肩や手。腰も。右側がずっと重い毎日でした。

アビューズのCD 初日から、いつもに増して、右側が痛いし、重いし、気分も重いし、半日ベットにいました。
思えば、初日聞き終わった翌日くらいに、私の夫を含んだ、私の両親のとのケンカ?なのか、確執がまた新たな問題で表れて、そして、今日もまた母の電話で傷つき…。

でも、気づいたんです。私は両親からの「心配」という虐待を受け取っていたと。そして、夫の何かの痛みを受け取っていたことも。
いつも、両親の顔色を見ていました。夫の機嫌も。両親と夫の仲をとりもつことも必死だったとおもいます。

両親からの虐待。甘んじて受けていたことを破壊します。

両親が私を見る目にいつもびくついていたのでしょうね。

涙がとまりません(涙)。
でも、CD 聞き続けます!
私は自分になるんだから。

ただ、何故か気持ちは落ち着いているんです…

それから、私は虐待の被害者でも、かわいそうな人間でもないということに気がつきました。

 

この体験談を読ませていただいて、震えるほどの感覚になりました。
私も、両親からの「期待」が自己虐待につながってたとあらためて気づきました。

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両親にとって、子どもの頃の私は「イヤイヤ期」もなく泣くこともなく、とても良い子だったといいます。
子どもらしく駄々をこねたり、甘えたり、泣いたりということが一度も無かったのです。

しかしそれは、子供心に「両親のために、そうしなければならない」と期待に応えるために必死だったのですね。

そして私が成長して20代後半に「鬱」という症状が悪化したときに、両親への不満や怒りが噴出しました。

その時の私は、「被害者」でした。ずっと両親のために我慢してきて、こうなってしまった…と。

何年も苦しい時間を過ごしましたが、あるヒーリングで気づきがありました。

「私は、この両親を選んで生まれてきた」

私は被害者でもかわいそうな人でもなく、自分が選択したことだったと気づいたことで、私は鬱の症状から抜けていったのでした。

そしてそれから15年経ちました。
AbuseのCDを聴きながら、Abuse Holdのセッションを受けながら、まだまだこの両親との関係の中にあるわだかまり(自分の中にあるAbuseの記憶やショック)を解放し続けています。


Abuse Holdセッション、10月からAQUA MIXTにて正式メニューになります。

▼Abuse Holdセッション▼

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