先日、アクセス・バーズ(R)1日講座を僕の担当回ということで開催いたしました。
ご参加いただく方々がいるから、講座がなりたつわけで、とてもありがたいことです。
アクセスコンシャスネス(R)に出合って、僕がとても共鳴したことは「ポラリティ中毒」についてです。
(写真の男性はイメージであり、潤治本人ではありません)
エンジェルセラピー(R)を学び、多くの人とセッションをしていくにつれ、人は「感情ゲーム」を好み、自分の人生を犠牲にしてでも、そのゲームに興じる様を深く理解するようになりました。
僕自身、そのポラリティ中毒の中毒患者ですから、その氣持ちは十二分に理解しています。
ポラリティとは「二極性」のことです。
愛と怖れ、光と闇、富と貧困、勝ち負け、陰と陽、男と女…
この二極性があることで、この物質世界は「安定」しているのかもしれません。
天界には二極性という概念はありません。
「愛」のみが存在し、光のエネルギーしかないとも言われます。
しかし、この感覚も二極性の蔓延る物質世界からの言葉であり、
単に「非二極性」の世界という感覚なのかもしれません。
そんな世界を経験し、この二極性の世界にやってきているとしたら?
二極性の魅力と嫌悪が同時に存在してしまうかもしれないと僕自身は思います。
貧困の無い世界をと言いつつ、富を遠ざけ、清貧になり、
愛に満ちた世界を実現させたいと思いながら、自分の中の怖れを見ず、
勝ち負けという競争の世界から逃れながら、あぶり出される自身の差別心、
光の世界の住人を装い、ポジティブ思考に傾倒しバランスを失う
など、二極性の魅力と嫌悪は僕たちの「揺れ動きたい」欲求を満たしてくれるのかもしれません。
講座では、この二極性の魅力と嫌悪をさまざまな視点から共有していきました。
無限の存在である僕たちの無限の可能性をアクセスコンシャスネス(R)は見せてくるツールのひとつです。
しかし、無限の存在だなんて、言われても、にわかに信じられないわけです。
それでも、僕たちが思考で考えることを飛び越えて、アクセスの魔法は僕たちに影響を与えていきます。
氣がつけば、有限である自分に戻っていることもしばしば。
肉体を持ち、条件付けされた世界で、制限された過去の記憶を持ちながら、
無限である自分なんて、都市伝説か!!?と思ってしまうかもしれません。
写真指名した女性が横に座って、写真と実物とのギャップにおののくくらい、
無限の存在という言葉が絵空事、もしくは詐欺のように感じるでしょうか。
夢遊病者のようにさまよい歩き、たまに覚醒する僕の心を掴んで離さない「ポラリティ中毒」をどう扱うかは、僕の人生のテーマです。
アクセスコンシャスネス(R)では、覚醒した状態をできるだけ感じ、
今まで感じられなかった可能性、選択肢を持ち、そして創造する力を思い出させてくれます。
天界では、あたりまえだった感覚を僕たちはこの世の「二極性の世界」に生まれ出る時にうっかり忘れてしまったのだろうと思います。
(スピリチュアル記憶喪失…)
僕たちが本来は知っていること知るサポート、
それがアクセスコンシャスネス(R)の世界観でしょうか。
二極性の世界をたしなむ程度は楽しみたいですが(にんげんだもの)、
「わたし、ひょっとして中毒症状出ているんじゃない?」
「もしかしてだけど、わたし結構、ポラリティジャンキーなんじゃないの?」と
感じたら、いつでもAQUAMIXTにGO!です。
ポラリティ中毒に関しての「彼」の記事はこちら…
「彼はポラリティ中毒」シリーズ
潤治担当回はまた、開催するかもしれません。