スピリチュアルマッサージ応用講座開催「自己肯定感はどこから?」

潤治の徒然草

2月9日(火)にスピリチュアルマッサージ応用講座、2コマが開催されます。
「手技(1)あなたの手の表情を豊かにする」「身体のリーディング(1)痛みはどこから?」です。

1月は基礎編と応用編を開催しました。
3月にもリクエストをすでにいただくというありがたい事態に「身体に触れること」の大切さと必要性を思います。

基礎編は、触れ合うことの意味、手がとても素晴らしい受容器であること、非言語の世界での対話に気づくことなど、マッサージを教えるということだけにとどまらず、コミュニケーション講座でもあると思っています。
Mother's Hands
僕自身、多くの方の身体を施術してきました。
その中で気づくのは、身体を通して、
自分自身に「受け取ること」を許す素晴らしさです。

人は肯定されたいという思いを持ち続けています。
それは自己存在にも関わります。

人の肯定されたいという思いは、どのように満たされていくのでしょうか?

あなたが肯定されていると思う時はどのような時でしょうか?

褒められた時?
何かの成果に高評価を受けた時?
試験に合格した時?
名前で呼ばれた時?
お礼を言われた時?

コンビニでプリンを買った時にお手拭きまで付いていた時?
居酒屋のトイレに入ったら、ペーパーが三角に折られていた時?
自動車事故を起こしてJAFが来てくれた時?
何も無いと思って冷蔵庫を開けたら、大好きなエクレアが買ってあった時?
ふとテレビを点けたら大好きな俳優が出てきた時?
しかもその俳優がまるで自分のことを知っているかのように話す時?

剛力彩芽に「髪型をショートにしないかな?」と念じたら、いきなりショートにしていて僕の思いが通じたと思った時?
(イタイ男です、僕。)

と、まぁ…

自己肯定感は僕たちになくてはならないものです。
さまざまな「肯定された」と思う瞬間はあるようです。
十人十色ですね。その人の歴史を思います。
どのように自己肯定感を得てきたか、の歴史ですね。

しかし、肯定感を得る瞬間は言語的なものだけではありません。

赤ちゃんはシンプルに求めてきます。
なぜなら、自己存在が危ぶまれることが命にも関わることを知っているからです。

そう、「身体的な触れ合い」です。

未熟児の発育を促すために、スウェーデンでは触れ合うを多くするタクティールケアというものもあります。
近年では認知症の緩和、改善にも効果があるとされ、知られるようになりました。

それほど、身体的な肯定感は大切ということでしょうか。

抱っこしていないと泣き止まない、眠らない、という赤ちゃんを不思議に思わないですよね?

大人になった僕たちは、まさか抱っこしてよと泣き叫ぶわけにはいきません。(本当に?)

泣き叫ぶかわりに、違う形で自己が肯定されていることを確かめたがります。

自慢する人、アピールする人、
自己憐憫に浸る人、役に立とうと頑張る人、
自分を見せることに躍起な人、痛みを身体に植えつける人、
不幸者になろうとする人、病気になる人、
緩慢な自殺行為のような食生活を営む人、
ヒステリーや癇癪を起こす人、
人を傷つけようとする人、
批判・中傷をして自分の傷を癒す人…。

人は肯定感を得るために、人生のほとんどを使っているのかもしれません。

すこし、泣けてきませんか?
その人の自己肯定感を獲得してきた方法…。
ワイパーが無いので、パソコンの画面が見づらいです…。

赤ちゃんはシンプルに求めてきます。

ただ、「身体が受け取ることに委ねる」だけです。

肯定感を得るために、何も複雑なコミュニケーションを取る必要はありません。

そっと、温もりを身体で感じるだけです。

その効果は誰もが感じていることでしょう。

あなたも赤ちゃんの頃を経て、今があるでしょ?
僕はそうですけども…。

皮膚は耳で聞こえない音を聴き、
目で観るように何かを感じたり、
頭で考えるように何かを考えています。

スピリチュアルマッサージ基礎講座は、
身体が受け取ることを思い出す機会になるでしょう。

触れ合い、手当て、温もりにもコミュニケーションスキルがあります。
通常の対話でも、受け入れやすいものとそうでないものがあるようにね。

あなたの身体的な対話を見つめてみませせんか?
応用編はそれをさらに深めていきます。

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