「回避行動」見えない鎖につながれる
桜が咲きはじめ、冬から春へと移り変わる。それは、自然が繰り返す確かなサイクルです。この季節の移ろいを、一日一日、丁寧に感じていたいですね。
春本番を迎えると、何か新しいことを始めたくなる。そんな風に感じる方も多いのではないでしょうか。新しい趣味、新しい仕事、新しい人間関係、あるいは新しい恋。
「はじめて〜する」という経験も増えるかもしれません。
何かを始める時、僕たちは時々、腰が重くなる自分に気づきます。やりたいと思っていても、つい先延ばしにしてしまったり、理由をつけて諦めてしまったり。
これは、心理学でいう「回避行動」と言われるものです。過去の失敗や、失敗に対する不安が、僕たちを無意識のうちに縛り付けています。
もし、世界中の人々があなたの応援団だったら。あなたの行動を心から応援してくれていたら。あなたは、その行動を起こすでしょうか。
そんな世界にするには、どうすれば良いのでしょう。
「遊び」の精神が学びの原点である
子供の頃は、危ないと言われると挑戦してみたくなり、意味があるかないかなど考えずに、ただ楽しいから、やってみたいからというシンプルな理由で行動を起こしていました。
それは、まさに「遊び」の精神です。遊びは、子供にとって単なる娯楽ではなく、社会性や創造性を育むための学びの場です。
放課後のドッジボールを、将来役に立ちそうだから、収入になりそうだからという理由でやる子供はいるでしょうか?ただ、楽しいから、時間を忘れて遊びます。
あの頃と同じように、心の奥底から湧き上がる衝動を、素直に行動に移せないのは、なぜでしょう。子供の頃と今の僕たちでは、何が違うのでしょうか。
「認知バイアス」硬くなった心の地面と転ばないための処方箋
子供の頃は、転ぶことを恐れませんでした。しかし、大人になると、転ぶ回数は確実に減ります。それは、実際に転ぶことだけでなく、失敗すること、間違えることを恐れるようになったからかもしれません。
僕たちは、転ぶことの痛みを、よく知っています。まるで地面がアスファルトのように硬く、転べば怪我をするのは当然だと考えています。
これは、心理学的な視点で「認知バイアス」の一種です。過去の経験から、「世界は危険だ」「失敗は痛いものだ」という思い込みが生まれているのかもしれません。
そのため、アスファルトの地面で転ばないように、様々なことを学ぼうとします。
- 正しい歩き方や走り方
- こんな時は走ってはいけないという理論
- 転んだ人たちから学ぶ安全・安心理論
- 走りたい衝動を抑える抑止力
- アスファルトの構造と危険性
転ばない人生のために、お金をかけることもあるでしょう。
転ばない人生のために、本当の気持ちを押し殺してしまうこともあるかもしれません。転ばない人生がいかに正しいかを学び、転んでいる人を見て、いかに危険かを批評し、自分を正当化したくなることもあります。
「ほら、いわんこっちゃない、だから転ぶと言ったんだ!」と。
「社会的比較」の罠 それでも、走り出す勇気
これは、「社会的比較」と呼ばれる心理メカニズムです。他者と比較することで、自分の優位性を確認し、安心感を得ようとする思考です。
ある人は、転ばない人生のために、必要最低限しか歩かないこと、走らないことを選ぶかもしれません。やってみたいことよりも、やらなければいけないことを優先してしまうかもしれません。義務と役割に身を置き、その正当性を語る人生です。
それでも、心の奥底でくすぶる気持ちを抑えきれずに、走ってみよう、意味なく歩いてみようと、必死に決断することがあります。まるで清水の舞台から飛び降りるような覚悟で。
一大決心で走り出した時に、もし転んでしまったら、もう一度決心するには、大変な勇気が必要です。そんな勇気を出すくらいなら、もう走らなくても、歩かなくてもいいのではないか。そんな勇気を出すには、もう歳をとりすぎたのではないか。そう自問自答することもあるでしょう。
そんな時、動く歩道があり、みんながそれを使って目的地に向かっているという情報が舞い込んだら、僕たちはその動く歩道を探し求めてしまうかもしれません。
多数派に紛れるほうが楽なのです。
「同調行動」という名の誘惑 心のコンパスを信じて
これは、「同調行動」の表れです。不確実な状況において、人は他者の行動を模倣することで、安心感を得ようとする傾向があります。
だって、転びたくないのですから。転んだら、誰かの批評が刺さります。
そもそも、転ぶことが痛いと感じ始めたのはいつからでしょう。
転んだ先がアスファルトの地面のように感じ始めたのはいつからでしょう。地面をアスファルトのように硬くしたのは、一体誰なのでしょうか。
もしかしたら、僕たち自身が無意識のうちに、世界を硬く、冷たく変えてしまったのかもしれません。
心の奥底にある「冒険心」を呼び覚まし、もう一度、子供の頃のように、自由に、そして大胆に、世界と向き合ってみませんか?
たとえ転んだとしても、そこから学ぶことはたくさんあります。
そして、立ち上がり、歩き続けることで、新しい景色が見えてくるはずです。