おはようございます、洗濯物の乾き加減にいまいち不満な潤治です
残暑がもっと残暑でありますように…
夏から、すこしずつ秋になっていくのが心地いいのに…。
夫婦間で、よく寛子に僕が伝える言葉のひとつに…
「解決策が欲しいんじゃないの!ただ聴いて欲しいの!受け入れて欲しいの!」
という言葉があります。
すぐに解決策を講じる寛子にいつも僕がついつい言ってしまう言葉です。
この言葉は…
昔々、職場や友人や彼女の相談を聴くことが多い頃
ついつい解決策をアドバイスしようものなら…
「解決策が欲しいんじゃないの!ただ聴いて欲しいの!受け入れて欲しいの!」
と逆に怒られることがありました…
この言葉には、そんな思い出があります。
その頃は、意味がわからず、解決策がないなら、その人は問題の中に居続けるだ
け…と軽んじていました。
愚痴ばかりいって、何も行動していないことを裁く自分もいました。
それは他人にも自分に対しても。
他人を裁くことは、結局、自分自身を裁くことになりますもの。
カウンセラー目指して勉強をしている頃、人の話を聴いていて、解決策を話した
くなるのはなぜだろう…と感じることがありました。
他人の話を聴いていると、すこしざわめく心…、モヤモヤとする…。
解決策を話す自分は、自分を中心に、その人の話を聴いていることに気づきます。
自分のために、解決策を他人にアドバイスしている…。
自分が、相手の辛さや苦しみを受けとめることを拒否している…。
相手の本当に気持ちに触れてしまうことが怖い…。
これは、外のコミュニケーションのことになります。
内なるコミュニケーションでも、同じことがいえます。
感情と向き合う…ということ
よく言いますが、意味がいまいちピンとこないことが多かったです。
自分と向き合うこと…。
解決策をすぐに出そうとせずに、その感情を味わってみる。
自分の悲しみや苦しみを受けとめてみる…、どうして悲しいと思うんだろう…、
何か過去に似たようなことがあったんだろうか…。
気持ちを受けとめ、想像力を働かせて、いろいろな角度から感じてみる。
本当の自分の気持ちに触れてしまうことになるかもしれません。
自分の中にある、罪悪感・劣等感・復讐心・猜疑心・裁き・暴力…。
それらを観ずに、解決策をすぐに自分自身に与えてしまうのは
せっかく感じる機会を与えられていることを拒否してしまっていることになるかもしれません。
どんな自分でも、どんな感情があろうとも
相手がどんな感情を持とうと、どんな人であろうとも
愛をコミュニケーションで生み出したいと思うなら
内外どちらのコミュニケーションにも、愛が残るはず。
もし、内なるコミュニケーションで
「解決策が欲しいんじゃないの!ただ聴いて欲しいの!受け入れて欲しいの!」
と内なる僕が言っているとしたら…
安心したいために、不安を解消したいがために、事態を予測し、コントロールし
ようとする自分がいることに気づきます。
せっかくの感じる機会を拒否している自分が…。
解決策を手放す勇気を持つことで
事態が本当に伝えたがっているメッセージに魂は気づくのかもしれません。
その事態が…、その言葉を発するその人が…、本当に伝えたいことは何でしょうか…。