いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
子どもは受け取ることが上手だと感じます。
自分でできることがほとんどなくこの世に無防備な状態で生まれてくる彼らは完全な依存状態です。
スピリチュアルな教えで、「受け取ることは与えること」とありますが、彼らは何を周りに与えているのだろうかと思うことがあります。
僕たちが住むこの世界では、子の面倒をみるのは親の役割でたいへんなことも多いかと思います。
しかし、彼らが与えてくれているものに目を向けてみると様々な贈りものに気づけます。
夜泣きするのは何故だろうか?
それは僕たち夫婦に何を訴えているのだろう?
無邪気にイヤイヤするのは何故だろうか?
僕たちの抑圧している感情を炙り出してくれるのだろうか?
何かを思い出させようとしているのだろうか?
僕たちが忘れてしまっているものは何だろう?
子どもが身を挺して伝えようとしていることは何だろう?
時に、大人としての自分を隠れ蓑に娘の真正面からの訴えを
単なる「愚図り」と片付けてしまうことが僕自身あります。
両親の緊張や不安を和らげるために、はしゃいだり、
いつも以上に泣いたり、怖がったりすることもあります。
感情的になる娘を見ていると、
「パパ、ママ、役割を演じなくて良いんだよ。
もっと素直に感情を表現してね。」
と言っているように思えます。
役割をいつまでも演じていると、
どんなに上手に取り繕っても、娘は愚図るのを止めません。
きっと、表面上の穏やかさよりも、「ありのまま」を愛したいのでしょう。
我が娘を見ていると、遠い自分の言動と似ていることに気づきます。
はしゃいだり、ふざけたり…、その姿に自分本来のエネルギーを感じます。
娘は求めることを止めません。
甘えたい、ハグしたい、抱っこしたい、良い子良い子したい…、
溢れる愛情に両親が戸惑おうとも、
その愛情表現の素直さに見習うところがいっぱいです。
パパとママの間にある「忘れていた哀しみや悔しさ」を
思い出させようとしてくれます。
お互いに言うまでもない過去や今の気持ちを
共有せざるを得ない状況に導いてくれます。
娘、小葉の存在は僕の人生に多くの問いを持たせてくれます。
のっぴきならない状況に追い込まれることもしばしばですが、
奇跡のような存在に感謝できる心で人生を歩みたいと思います。
大切な人の存在は、
その人がいない人生を想像してみると良いかもしれません。
あなたの大切な人がこの世に存在していない世界をイメージしてみましょう。
どんな世界でしょうか?
あなたはどのような人生を歩んでいますか?
あなたの大切な人はあなたに何をもたらしていたでしょうか?
特に家族の存在は当たり前になりやすいので、
このイメージをしてみるといいかもしれませんょ。