いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
今日はマタニティ写真を撮影していただくために写真館を訪れます。
この時期にしか撮れないものなので、いつもの家着(スザンヌ×ユニクロ)を脱ぎ捨て、気張ってオシャレさんな服を着ていこうと思っています。
寛子と共に外出するとき、彼女が外出する時、お互いにベジタリアンなので、菜食のお弁当を作ることがあります。
マタニティ時期ともなると、僕の「してあげたい欲求」がむくむくと湧いてきます。
お弁当を作ってあげる
家事を手伝ってあげる
マッサージしてあげる
「大丈夫?大丈夫?」と声をかけてあげる
この「…してあげる」、あなたはどう思いますか?
先日のblogに記事「「してあげたい」という気持ち、私は私でチェックする…」
にあったように、相手に「何かしてあげたい」と思ったとき、
自分の気持ちをチェックするようにしています。
なぜ、してあげたいのだろう?
それは誰のため?何のため?
本当に相手が僕に望んでいることは何だろうか?
相手の魂が望み、成長するために僕は何ができるだろうか?
それは時に、自分の本当の欲求に気づかせてくれます…。
男性が料理をするなんてスゴイですねぇ。
奥さんも幸せですね。
優しそうな旦那さまですね。
赤ちゃんの抱っこの仕方が上手ですね。良いパパになりますよぉ。
と人に言われることが多々あります。
そうすると、何気なくしていたことの動機が
変わっていくのが自分で分かります。
つまり、僕は虚栄心を刺激されてしまって、それを満たそうと、
「頑張ってしまう」わけです。
今日、妻のお弁当を早起きして作ってやったぜ。
睡眠不足気味だぜぇ。
マイルドだろう?
本当は自分のしたいことがあったけど、
妻と生まれてくる子供のために自分のしたいことは我慢してやったぜ。
欲求不満でピリピリしてるぜぇ。
マイルドだろう?
まさに、ジュンちゃんの「マイルドだろう?」状態におちいります。
簡単に言えば、
格好をつけたいわけです。
等身大の自分ではなく、必要以上に自分を大きく見せたくなってしまうのです。
「~してあげたい」 が
「もっと褒めて欲しい」「認めて欲しい」「スゴイと言って欲しい」 の
隠れ蓑になってしまっているのです。
…と自分の動機をチェックするのに、
自分に質問するということはとても大切なことなのでした。
そうじゃないと、「マイルドだろう?」状態になってしまうから…w。
誰にも認められなくても、
自分が自分をまずは認められているか?
に集中したいですね。
虚栄心にブレるとしたら、
僕は僕を認めていないのかも?
と思うのです。