いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
先日の記事「罪悪感が人生の牽引にならないように【恋愛編】」の続き、
今回は【親子編】になります。
恋愛において罪悪感がその人の動機付けになっていたりする場合があるというお話しでした。
「俺、おまえのために何もしてやれない…。」
「俺、おまえの望み、何も叶えてやれないぜ。」
どうですか?うっとうしいですか?w
罪悪感をエネルギーにして人を愛すということに気づいておくと、
あまり罪悪感に自分自身が振り回されずに済みます。
つまり、罪悪感をエネルギーにするわけですから、
その罪悪感を貯めようとする思考が無意識にあるわけです。
ですので、幸せになろうという意識的な行動も、
罪悪感を貯めようとする無意識のパワーの前には無力ですから、
人生が思っていることと違ったものになっていきます。
引き寄せの法則がこれほどまでに知られるようになって、
それでもそれを扱う本が次々に発売されるのは、
それを使いこなしている人がいかに少ないかということを証明しています。
※先日の記事「内面の葛藤が引き寄せの法則の邪魔をする」
罪悪感は蜜の味…
そして、それは「痛みの幸福」でもあります。
(「痛みの幸福」についてはまた次回に。)
ですから、その幸福を邪魔する引き寄せの法則を身につけるわけにはいかないのです!w
本を何冊も読むよりも、内面のそうした葛藤と仲良くなり、
人生を導くパートナーにしていくことが望ましいと思います。
僕の父は、今でも僕に
「幼稚園に入れることができなくて申し訳なく思っている。」
と言います。
僕に対して申し訳なく思うことで愛情表現をしてくれるわけです。
僕の母は、「離婚して家を飛び出して申し訳なかった。」と言います。
息子の僕にしてみれば、申し訳ないと思って欲しくないわけです。
なぜ、僕をそんなに可哀相な子にしたがるのか?と思うのですね。
反発心で行動したこともありました、
つまりあなたたちの影響など一切受けていませんから!というように。
しかし、今は父と母の「罪悪感ベースの愛」と
その影響を受けた自分を受け容れています。
だって、家族ですもの…。
そうしながらも、僕がその愛を引き継ぐことはしないようにしています。
僕の番でアンカーにしたいという思いです。
罪悪感を貯めるために、わざわざ人生にトラブルを引き起こし、
ドラマチックにしてはジェットコースターのように人生を渡り歩く必要はなく、
その度ごとにクリエイティブに自分も周りも幸せな選択をする力を身につけたいと思います。
罪悪感は後払いのローンのようなもので、しかも多重ローン…。
支払い終わることがありません。
その人の無意識が望むだけ、支払い回数と金額は増えていくのでしょう。
本人にしかそれを止めることはできません。
僕と寛子のもとに新しい家族がやってきて、
この「罪悪感ベースの愛」に気づかされることがしばしばあります。
僕はしっかりと両親からバトンをもらい、無意識のうちに走り続けていたわけです。
父親として十分なことはしてあげられているのだろうか?
母子のために良い環境を提供できているのだろうか?
とせっかくの罪悪感貯金をしていると、寛子が僕に言います。
「何かしてくれるよりも、いつも穏やかでいて欲しい。」
罪悪感貯金の怖いところはそれをベースに行動して、
あらたに罪悪感を感じようするところです。
愛を示そうと頑張る→理想的な姿になることは少ない→
できない自分を責める(時に癇癪…)→罪悪感を溜め込む→
次はもっと頑張ってみようと誓う(何か方法論や精神論を学ぶかも?)→
(そして、また、最初に戻る)
この繰り返しに疲弊し、愛することを行動に起こすこともできなくなるかもしれません。
人と密にコミュニケーションを取ることが億劫になりますね、きっと。
しかしながら、行動には起こしませんが、
罪悪感を持ち続けることでローンの支払いは続けているわけです。
「あいつには何もしてあげられなかったけど、幸せになって欲しいな。」
「俺なんかよりも、ふさわしい奴を見つけて幸せになってくれよな。」
どうですか?面倒な奴ですか?
罪悪感に逃げずに本道を歩むということは、
人生をシンプルにします。
たしかに、罪悪感は確かにモチベーションになり得ますが、
そこにとどまらず、親子関係を再構築し続けて、人生を豊かにする選択をし始めると、
また、新しい関係性を育みます。
多重ローン支払いからの脱却でしょうか…。
それがあるものに繋がってくのですが、それはまた次回以降に…。
もしくはAQUA MIXT のエンジェルワーカー 魂の羅針盤 にて。