コアなファンの子たちがすでに大勢並んでいました。
開演2時間前ほどからちらほらと並ぶそうです。
屋根が付いているとはいえ、小雨の降る中、ピクニックシートを敷いて楽しそうに友だちと歓談しながら待つ彼女たちの姿に、
学生時代のような無駄なワクワクを味あわせてくれる家族の協力に感謝しています。
多摩市に住みはじめて8年。
ハローキティなど子どもの戯れと思っていましたが、
それを糾弾したい人は「矛盾」と呼ぶかもしれません。
あらゆる視点が存在し、そのひとつを僕が選んでいるだけです。
その視点の正当性を主張する必要はなく、他の視点を裁く必要もありません。
僕の周りは女子中学生たちばかりです。
だんだん、そんな自分を弁解、弁明したくなる気持ちが沸き起こってくるわけです。
「いやね、家族のために並んでいるのですからね~。」
「キティちゃん自体には興味ないんですよ。
揺るぎない自分自身の情熱も、あまりにひとりぼっちだと揺らぐわけです。
自分自身の揺るぎない視点も、他者にどう思われるのか?と
ベクトル自分向きの思考ですね。
ハマるとやっかいなものだと僕は思います。
そんな時に周りの人たちがどのような気持ちで並んでいるんだろうと想像します。
リーディングとも言えるでしょうか。
リーディングは誰にでもある感覚であり、それは磨くことでさらにあなたの人生をシンプルにパワフルにするでしょう。エンジェルワーカー 魂の羅針盤「エンジェルリーディングのすべて編」2015年9月11日(金)10時~13時
そうしていくと周りの人たちのベクトル自分向きの思考が見えてきます。
こんなことしてていいのかな?
現実逃避じゃない?
宿題終わってないし。
夏休みが終わったら、受験勉強しなくっちゃ。
周りの人たちの不安や心配も感じ取れるわけです。
ここまでくると、自分がどう思われるのか?という思考はなくなります。
各人がそれぞれの世界で生きているのだと感じ取れるからです。
周りの人たちが持つ、不安や心配に意識が向くと、
そして、また、自分自身の視点に正当性を加えたい時は、
しかしながら、相対的になり過ぎて自分を見失う必要はありません。
早朝から女子中学生に混ざりながら、そのようなことを思うのでした。
あなたのその視点はどのように出来上がったのでしょうか?
使いたいですか、使い続けたいですか?