サンリオピューロランドに開園1時間前に並ぶ男

潤治の徒然草
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
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AQUA MIXT 潤治です。
先日、朝早く、開園1時間前からサンリオピューロランドの入園待ちにひとりで並んでみました。
コアなファンの子たちがすでに大勢並んでいました。

開演2時間前ほどからちらほらと並ぶそうです。

屋根が付いているとはいえ、小雨の降る中、ピクニックシートを敷いて楽しそうに友だちと歓談しながら待つ彼女たちの姿に、

「暇人か!?」
と我を顧みずにツッコミを入れていました。

学生時代のような無駄なワクワクを味あわせてくれる家族の協力に感謝しています。

多摩市に住みはじめて8年。
ハローキティなど子どもの戯れと思っていましたが、

それも僕の単なるひとつの視点であって、
固定し続けることはナンセンスなのだとあらためて思います。

それを糾弾したい人は「矛盾」と呼ぶかもしれません。

「潤治さん、以前、ハローキティ、無い無い!
と言ってましたよねぇ?」
自己矛盾など人生ではあるあるですし、「矛盾」という言葉自体に
裁くエネルギーが乗っかっているように感じるのは僕だけでしょうか。

あらゆる視点が存在し、そのひとつを僕が選んでいるだけです。
その視点の正当性を主張する必要はなく、他の視点を裁く必要もありません。

夏休み中だからでしょう。
僕の周りは女子中学生たちばかりです。

そこに40歳を超えたおっさんが若干ニヤけて並んでいるのですから、おぞましい光景です。

はじめはニヤけていた僕ですが、時間の経過とともに、
だんだん、そんな自分を弁解、弁明したくなる気持ちが沸き起こってくるわけです。

「いやね、家族のために並んでいるのですからね~。」
「キティちゃん自体には興味ないんですよ。

あくまでもネズミ男子を観るんであって。※パレードも観る…

揺るぎない自分自身の情熱も、あまりにひとりぼっちだと揺らぐわけです。
自分自身の揺るぎない視点も、他者にどう思われるのか?

思った時点でハンドルが取られます。

ベクトル自分向きの思考ですね。
ハマるとやっかいなものだと僕は思います。

そんな時に周りの人たちがどのような気持ちで並んでいるんだろうと想像します。
リーディングとも言えるでしょうか。

リーディングは誰にでもある感覚であり、それは磨くことで
さらにあなたの人生をシンプルにパワフルにするでしょう。
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2015年9月11日(金)10時~13時
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そうしていくと周りの人たちのベクトル自分向きの思考が見えてきます。

こんなことしてていいのかな?
現実逃避じゃない?
宿題終わってないし。
夏休みが終わったら、受験勉強しなくっちゃ。

周りの人たちの不安や心配も感じ取れるわけです。

ここまでくると、自分がどう思われるのか?という思考はなくなります。
各人がそれぞれの世界で生きているのだと感じ取れるからです。

他人にどう思われるか?という視点は、
いかに自分が他人に与えようとしていないとも言えます。
そこには自分自身の「癒されていない感情」
無視し続けていることが垣間見られるように僕には思えます。

周りの人たちが持つ、不安や心配に意識が向くと、

他人に優しくなれたり、寛容にもなります。

そして、また、自分自身の視点に正当性を加えたい時は、

自分を疑う必要があると思います。どんなに正しそうな気がしても。

しかしながら、相対的になり過ぎて自分を見失う必要はありません。

価値観難民、視点難民になりかねません。
あくまでも、自分の意思があってのことですから。
好き嫌い、心地良いか悪いか、気が乗るか否か…。

早朝から女子中学生に混ざりながら、そのようなことを思うのでした。

コアなファンのサンリオ事情も知ることができ、楽しい開園待ちとなりました。

あなたのその視点はどのように出来上がったのでしょうか?

そして、今後、それをどう使いますか?

使いたいですか、使い続けたいですか?

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