「わたしって、セロリ、ダメじゃないですかぁ~。」
「え、キミってドタキャンとかする人?」
「わたしって、動物モノの映画で泣く人だからぁ~。」
「彼氏、草食系でちょっと頼りないのよぉ。」
「わたし、パクチーダメな人だから。」
「僕、ベジタリアンなんで。」
「オレ、先輩のカノジョにも、ガンガンいっちゃうタイプ。」
さまざまな自分への評価・格付け・分類はよくあることです。
それを自分らしさと感じ、心地良いことも少なくありません。
それは強固に自分を定義づけ、信念を創りだしていくかもしれません。
自分というものは、いつも流動的だとしたら、
いったい何を指針に生きたら良いのだろう?とも思います。
僕も寛子も、10年ほど前から、身体が心地良いという理由で肉を摂らないようになり、
魚からも遠ざかるようになっていきました。
朝一で豚トロ丼を頬張っていたふたりですから、その変化は周りから見ると急なものだったかもしれません。
僕たちの感覚では、身体の声に従っただけというもので、ゆっくりと自然な移り変わりでした。
生菜食といった食生活をする日も増え、身体の浄化といった感覚を感じるようになりました。
シックスセンスは冴えわたり、スピリチュアルなお仕事も日に日に増えていきました。
それが心地の良い選択でしたし、しばらく身体の浄化は続きました。
寛子は薬、僕は砂糖毒や環境ホルモン、添加物の解毒が必要だったと振り返ると思います。
解毒期間は数年にわたり、菜食がいつの間にか生活の一部になっていました。
いつの間にか「ベジタリアン」「ヴィーガン(完全菜食)」「ローフーディスト」と自分たちを分類し、個性の一部のように感じていきました。
僕の菜食料理教室は大好評でしたし(おこがましくも言うならね)、
デトックスランチレッスン、ローフード教室は問い合せが断ちませんでした。
「ベジタリアン」という自らの分類に、こだわりが増えました。
しかし、身体の声を聴いて歩んでいた道が、いつの間にか「あるべき姿」として固定化されていったように思います。
そして、お互いの解毒が終わったのか、僕の精子が妊娠可能なレベルの数に増えたのか、
アラフォーを過ぎてから、娘の小葉がやってきました。
妊娠を機に、アーユルヴェーダの食生活も取り入れるようになり、ギー(無塩バターを煮詰めて、水分や蛋白質を取り除いた純粋な乳脂肪)を常食するようになりました。
鰹出汁もとるようになり、エンプティカロリーと避けていたうどんもこよなく愛すことになりました。
選択肢を狭めていたグルテンフリーの生活もあまりこだわらなくなりました。
娘の小葉の離乳食が終わりを告げるあたりから、さらに加速しました。
まるで「固定化された習慣」が「制限」となるなら、どんどん違う選択、チャレンジをしてみない?と誘っているかのような娘の働きかけでした。
「焼き鳥食べたい!」
「焼き魚食べたい!」
「お子さまランチ食べたい!」
「ハンバーグ食べたい!」
「チョコレート食べたい!」
ビーガンベジタリアンからは一笑に付してしまいそうな選択の数々に頭を悩ませました。
ハンバーグはたかきびハンバーグ、卵焼きはもちきび、チーズはもちあわで、と代用する「もどき合戦」は、残念ながら、ことごとく彼女には不評でした。
なるべく害の少ない肉、魚を選ぶようにし、そして、ありがたいことに素粒水のおかげでそうした、ひょっとしたらあまり意味のない食品へのジャッジメントはゆっくり溶け出していきました。
副産物として、さらに料理は手際よく、美味しくなりました。
(達成感などまるでないのですが)
「僕ってヴィーガンベジタリアンじゃあないですかぁ~!」
とあまり意味のないラベルを自分に貼ることもなく、自他への許容が進んだように思います。
自分へのラベリングは、ある意味、自分の可能性を狭める「虐待」かもしれません。