それはトラウマになるかも? 幼少期の禁じられた遊び(衝動)

トラウマ虐待

性的トラウマは大人になって異性へのブレーキになる

性的なトラウマのご相談は多く、その時の相手が何を思っていたのかをチャネリングしてお伝えする機会になります。

男性のほうが性差を軽く考えている場合が多いので、両者の受けた印象に大きな隔たりがあります。

男性側「僕に興味を持ってもらいたい」「オレのほうがエラいと分からせたい」
女性側「性的な虐待をされた 侮辱された」

大げさな例ではなく、性差による性の表現と印象は全く違うことを認識する必要があります。

幼少期だと、男の子も女の子も考えていること・感じていることのやりとりがうまくいかない場合が多いものです。

そして、その時に何が起こったのか?がよく分からずに、得体の分からない怖れを増幅し、その後のパートナーシップや異性関係に何かしらの投影をすることが多々あります。

  • 女性(男性)に上手く話しかけられない
  • お付き合いするのが怖い
  • 本音を伝えられない
  • 触れるのも触れられるのも嫌!
  • モラルハラスメントに遭いやすい
  • 共依存になる

などが、一例としてあげられるでしょう。

性的

衝動は抑えられない(潤治の場合)

僕がまだ小学生にあがる前のこと。

幼稚園や保育園に行っていませんでしたから、昼間はテレビを観ているか、マンガを読んでいるか、ひとりでふらふらと遊んでいるか、でした。

たまに近所の女の子と遊ぶことがありました。僕の友だちはその女の子ひとりでした。
たしか、僕よりもひとつ年下だったような…。

当時は、なぜそうしたかあまり記憶はないのですが、ふたりで部屋で遊んでいるうちにキスをしようということになりました。

暇だったのか?
好奇心なのか?
テレビの真似っこをしたいのか?

ふたりで抱きしめ合いながら、畳の上をゴロゴロし、キスをするという遊びに興じました。

次第にエスカレートし、もみくちゃになって、お互い、ボルテージがあがり、興奮していきました。生まれてはじめての感覚でした。息づかいの荒くなった幼児ふたり。

その瞬間、何かいけないことをしているような気になりました。
お互い、何か気まずい雰囲氣になり、そのたわむれは終わりました。

そして、それからしばらく、その彼女と遊ばなくなったのを覚えています。

「禁じられた遊び」だったのでしょうか。

その後、その彼女との記憶は途絶えます。

いったい何を思ってそうしたのか?何がしたかったのか?その後、何を怖れたのか?は、大人になる前の「原体験」のようなものになったのかもしれません。「親密になる怖れ」だったのかもしれません。

大人になって思い返すのは、彼女はどう思っていただろうか?ということです。
不快な思い出になっていないだろうかが、もうどうすることもできないと思いあぐねます。

男の子の衝動が、女の子のトラウマになっていないだろうか

幼少期に何が起こったのか

AQUAMIXT には幼少期の性的なトラウマのご相談も多いです。

幼少期の性的なアクシデントは多く、その影響で、性的なもの(セクシャリティ)を何か取り扱い注意のようなものにすることも大いにあります。女性の場合が多いですね。

ですから、一切、アンタッチャブルなものとしてしまうことも、まるでこの世に性的なものが存在しないかのように振る舞うこともあるかもしれません。

周りの大人の対応は大切

はじめて、性的なものに接触した時、その周りにいる人たちの態度は大切なように思います。子育てにも通じるでしょうか。

大人自身が大げさに捉えたり、価値観を投影して叱ったり、怖がったり、心配したりすると子どもは萎縮してしまうでしょう。

その周りの人たちの態度で、子どもの受け取り方も変わっていきます。

影響を与えた相手の性的なコミュニケーション

前述したように、

男性側「僕に興味を持ってもらいたい」「オレのほうがエラいと分からせたい」
女性側「性的な虐待をされた 侮辱された」

と両者にギャップがある場合が多いようです。

とくに、男性側はセクシャリティを軽く考える場合が多く、女性の痛みを推し量ることが難しいかもしれません。

ビンタ

痴漢にあった娘に「隙があるからだ!」と言ってしまう周りの大人もいるでしょう。

男性側が力を使って、程度に差はあるにせよ「オレの言うことを聞け!」というコミュニケーションもあります。

それがどんなに屈辱的なことかを男女で話せることはひとつの理想です。

性的なもの(セクシャリティ)によってどんな価値観を獲得しているかで男女のコミュニケーションパターンは変わっていきます。

相手がセクシャリティによってどんな価値観を獲得しているかを理解する

性的トラウマは誰に相談するべきか

ありのままの自分で接するために、相談先の方が、自分自身の中で「セクシャリティ」と和解しているほうが望ましいように思います。

判断や批評するような人は論外です。もちろん、アドバイスも要りません。

あとは結論や答えを急がない人です。
解決することではなく、テーマとともにいて(自分の中で)問い続けることができる人がいいでしょう。

問い続けるということは覚悟がいりますから。

セクシャリティの問題は、思考に靄がかかりやすいので、ゆっくりと自分と対話しながら、癒しながらするめるといいようです。

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