おはようございます、春一番がそろそろ吹くのではないかとワクワクしている潤治です。
そして、桜が咲き、春から初夏へと変わっていくのは確実にやってくる自然のサイクルです。
そんな季節の移り変わりの一日一日を感じていきたいなと思います。
春本番になると何かを始めてみよう
と思う人もいるのではないでしょうか?
新しい趣味、新しい仕事、新しい人間関係、新しい恋…。
「はじめて~する」なんてことも増えるかもしれませんね。
何かを始める時に、腰が重くなっている自分に気づくことがあります。
やりたいと思っていても、つい先延ばししてしまってり、
意味を探して、無理な理由を並び立てて、やらないことを正当化する…、
そんな時、ありませんか?
世界中の人々があなたの応援団だったら、
その行動を応援してくれているとしたら、その行動を起こすのかもしれません。
そんな世界にするには、どうすれば良いのでしょうか?
子供の頃は、危ないと言われるとやってみたくなったり、
意味の有る無しを考えずにチャレンジしてみたり、
ただ、楽しいから、やってみたいから…
そんなシンプルな理由で行動を起こしていたように思います。
まさか、放課後のドッチボールを
将来役に立ちそうだから、収入になりそうだから…
なんて理由でやることはありませんでした。
その頃と同じ感覚で、心に湧き起こる衝動を行動に移せないとしたら、
子供の頃と今の僕たちの何が違うのでしょうか?
子供の頃は平気で転んでいましたが、
大人になると転ぶ回数は確実に減ります。
これは実際に転ぶこともそうですが、
失敗しない、間違えない…などの意味でもあります。
転んだらいかに痛いか、大人になった僕たちには想像に難くないと思います。
まるで地面がアスファルトのように固く、転べば怪我をすることが間違いないと
解っています。
なので、アスファルトの地面でいかに転ばないようにする術を学ぼうとします。
◆正しい歩き方や走り方
◆こんな時は走っちゃいけない理論
◆転んだ人たちから学ぶ安全・安心理論
※特典「わたしはこうして転びました集」
◆走りたい衝動を抑えるレッスン
◆アスファルトの構造と危険性
転ばない人生のために、お金を出すこともあるでしょう。
転ばない人生のために、
本当の気持ちを抑えてしまうこともあるかもしれません。
転ばない人生のために、
転ばない人生がいかに正しいかを学ぶこともあるかもしれません。
転んでいる人を見て、いかに危険か批評し、自分を正当化したくなります。
ある人は、転ばない人生のために、必要最低限度しか、
歩かないこと、走らないことを選ぶかもしれません。
やってみたいことを優先せずに、
やらなければいけないことを優先してしまうでしょう。
それでも、心のくすぶりを抑えきれずに、
走ってみよう!意味なく歩いてみよう!と
必死に決断するかもしれません。
まるで清水の舞台から飛び降りるように、自分を鼓舞して…。
一大決心で走ってみたときに、もし、転んでしまったら、
もう一度、決心するには、とてもパワーが必要です。
そんなパワーを出すくらいなら、
もう走らなくても、歩かなくても、良いのではないか?
そんなパワーを出すには、もう歳をとりすぎたのではないか?
そんな自問をすることもあるでしょう。
そんな時に、
どうやら動く歩道があり、
みんなそれに乗ってその道を行くらしい。
そして、それは転ぶことはまずないらしい…
という不確かな情報が舞い込んだら、
その動く歩道探しに人生を使ってしまうかもしれません。
だって、転びたくないですもの。
そもそも、転ぶことが痛いと感じ始めたのはいつでしょうか?
転んだ先がアスファルトの地面のように感じ始めたのは?
地面をアスファルトのように固くしてしまったのは誰でしょうか?
次回、
“K・O・R・O・B・U ~転んだっていいじゃない~” へ続く。