夜明けのレッスン(9)前世療法 Part.6『その後』

トラウマ前世・過去生

天界の眺めAQUA MIXTの寛子です。
ついに、「夜明けのレッスン」前世療法編も今回で完結です。
自分の中でも、大きなヤマを越えました。
これからは、たくさん書きたいことを書いていきますネ。
4回目の退行催眠セッションを受けた後気付きが深まるにつれ、もうセッションは必要がないほど核心部分に触れたことを自覚します。

セラピストの先生に宛てた、その後の報告メールを中心に、紹介させていただきます。

2001.11.5のメール 件名:セッション後の報告その1
ご連絡、遅くなり申し訳ありません。
10月25日の4回目のセッション以来です。
セッションが終わってから、自分の今の人生での理由の解らなかった事、全てに理由があることが解りました。
躁鬱を繰り返して進んだり停滞したりのもどかしい生活が、急激に回転を始めました。
元々行動派だったので、考えるより、行動しながら次々と、セッションで得た考え方を実践して確信を深めたり、その事を周りの自分の大切な人に伝えたりしてきました。
毎日のように人と会っていたので、すっかりご報告が遅くなってしまいました。

振り返ってみると、4回のセッションで、今後の人生を余計な感情に振り回されること無く、前向きに生きていく上で必要なきっかけが、順番に、全て与えられたようです。

4回目のセッションが終わったときは、過去生を見た驚きで気持ちが整理しきれていなかったので、まだ継続的に受けようという意思がありました。
しかし、その日一日、自分の退行催眠で再体験した、学生時代の出来事や、過去生での出来事をひとつひとつ振り返ってその意味を考えているうちに、それぞれの出来事が全て一筋につながり、自分の今の人生の生きる意味、今まではぼんやりとしかわからずに試行錯誤していたようなことまで、全てに確信が深まりまりました。

昔はもっと、直感に素直に生きていた頃の自信を取り戻しました。

現段階ではこれ以上のヒントは必要ないと考え、今後もう少し落ち着いてきたら、レイキの方に挑戦しようかと考えているところです。
突然、苦しい現実が無くなるわけではないけれど、同じ現実に対する捉え方や取り組み方が、全く変わりました。
ひとつ、過去生の出来事のトラウマが解消されたことは、パニックになることがなくなり劇的に楽になりましたが。

例えれば、泳ぎながら、向こう岸はないのではないか、途中で溺れるのではないか、と不安になりながら泳ぐのではなく、まだ見えない向こう岸はあると信じ、苦しくても泳ぎきるしかない。
その過程に大きな意味を見出した、そんな気持ちです。
自分が、まるで本に書いてあるような体験をするとは、全く予想していませんでした。
しかもたった4回という回数で、順番に自分の問題を解く上で必要なヒントを全て得ることが出来るとは思いませんでした。
すばらしい体験でした。
本当にありがとうございました。

2001.11.9のメール 件名:セッション後の報告その2
こんにちは。

セッション後の自分の認識の変化なのですが、余りにもたくさんあり過ぎて、何から報告したら良いのか・・・。
バラバラだった出来事が全てひとつに繋がってしまったので、部分部分での表現が非常に難しくなりました。でも、自分の認識の再確認も含めて、少しずつでもご報告出来たら、と思います。

大きな変化:彼との関係
ここ10年ほど悩まされていた、大切な人と離れているときや離れなければいけない時に陥る、得体の知れない不安感、恐怖感。
時にはほとんどパニックになったり。それが、全く無くなりました。
トラウマがの原因が現世に無いらしいことは、うすうす解っていました。しかし、思い出せそうで思い出せない、もどかしく奇妙な感覚でいました。
「一番最近の身も心も引き裂かれるような思いをした体験」が前世(?)と思しき記憶に触れた時、自分では半信半疑で、こんな子供が自殺なんて
するんだろうか?という疑問や、なかなかイメージや視点が進まないことに少し諦めの感情が入っていたりしました。
それでも、進めるうちに再体験した感情は、私がいつも不安に捕らわれてしまうものと全く同じでした。

しかも、見えたものに関してはやや不明な点がまだ残るものの、再体験した感情については、どれも自分の心では違和感がひとつもありませんでした。また、子供の頃からよく見た夢と一致するものでした。
しばしば、殺される!と思って必死に逃げる夢を見ていました。自分が実際に殺されるところまで見るのはとてもまれで、とにかく逃げる夢。
夢から覚めると「自分はなんて臆病で卑怯者なんだろう」と深い自己嫌悪感に苛まれていました。
そんな夢も見なくなり、そして彼と普通に電話してたり、会って別れる時も、いまだかつて無いほど落ち着いています。
もう、何も不安がることはなくなりました。

トラウマが解消されただけではなく、彼との関係も納得がいくものでした。
知り合った頃から、人には「兄弟のよう」と言われるような仲のよさでした。
どうやら前世での「父と息子」の関係だったこと、認識すると、非常に納得してしまいます。
果たせなかった一緒にやりたかったことを、今お互い共有しようと、いつも考えていたこと。
認識できたら、先生に彼との関係を話しながら笑っている自分に、後で驚きました。
初めてのセッションを受けるときは、彼の話をしようとするだけで涙が出てきていたのに。

今までは、お互いが直感で”運命の人”だと自覚しながらも、どうして一緒になれないのか? が一番の疑問でした。
どこかでお互い、道を誤ってしまったせいではないか?とか、鬱がひどい時は現実を否定することしか出来ませんでした。

でも、今はとても納得がいきます。

金髪の少年が、一人残されてもその先の人生が本当はありました。
自らの命を絶たなければ、孤独に打ち勝ちたくましく生きていくすばらしい人生があったのです。

「前世で遣り残した問題は、現世に持ち越す」 ということを非常に納得しました。

一人で孤独に打ち勝ち生きていくことを放棄してしまった私は、今回もう一度その課題が与えられている。
前世でお父さんだった彼と、現世でずっと一緒、ではいられない関係にも、深く納得しています。
それでも、どんな形でもいつも私の人生を見守ってくれている立場でいてくれる(彼だって辛いはずなのに。)そんな今まで解っていたようで軽視していた事実に、深い感謝の気持ちになりました。

彼が家族を大切にする気持ちと、私の存在を大切に思う気持ちが、少しも相容れないものでないことが理解出来たのです。
彼との関係に関して、現実の問題としてはまだ大した進展はしていないのかもしれません。
けれども、同じ現実に対する自分の捉え方が全く変わりました。

・いつも一緒にいられない理由がわかった。前世遣り残した課題をと自分でこの人生を選んだこと。
・物理的な距離と関係なく、魂はいつも非常に近くにいることが認識できた。ずっと身近にいるソウルメイトであることを再認識。
・神様は、彼と前世でやり残したことを一緒に出来る数年間をプレゼントしてくれたことに感謝をしている。
・生まれ変わっても、また近くにいられるという安心感が、今離れていることに対してあまり問題ではないと思うようになった。

何よりも一番大切なことは、「この人生は自分が選んだんだ」と本当に理解出来たことです。
幼い頃は、今よりも直感でわかっていたのかもしれないです。
「一人で生きていく」という意識は、物心つく前からもっていたようです。そのあたりと、両親の関係についても、また後日報告させていただきます。

このセション後も急に鬱の症状がなくなったわけではありませんでしたが、改善の一途をたどりました。
そして、自分のライフワークを模索し、夢を実現するための方法を模索し行動していく中で、潤治に出会いました。
この体験がなければ、次の年に潤治と出会い電撃入籍することもなかったか、あるいはもっと先のことになっていたかもしれません。
『手放すと訪れる』という体験を、パートナーという存在で実感したのです。
次回は、この体験について書かせていただきますね。
最後に、家族との関係の癒しも同時に起きていましたので、当時の報告メールを紹介します。

2001.11.22のメール 件名:セッション後の報告その3

不思議なのですが、今の家族との関係に関する事は、セッションではあまり重点を置いていなかったにも関わらず、今まで心の中で抱えていた暗い思いが軽くなりました。

鬱がひどい時は、この10年余りの家庭内の問題を、両親のせいにして恨んだり、酷い言葉をぶつけてしまったりしていました。
家族の問題に関しては昔から必死になっていて、その後無力感にとらわれて社会人になってから、家を出て一人暮らしを強行したりしていました。(結局、鬱が酷くなって実家に戻ったのですが。)

やっと、家族との適切な距離を測る目安が見えてきたようです。
この数年、両親を恨んでいたようなこと、自分は本当に望まれた子供じゃないのでは、と思ったこと、全て「私はこの両親を選んだんだ」という確信に変わりました。
全てのセッションが終わったあと、母にそんな思いを伝えることが出来ました。
母の手を取って、感動で涙を流しながら伝えました。
きっと私が鬱がひどい間、傷ついて、自分を責めつづけていたと思います。
かなり昔から、自分は駄目な母親だと嘆いていました。
でも、私がセッションを通して解った事は、何一つ「誰か」のせいではなく、全て自分の中に問題も解決策もあった、ということです。
そのことを、きちんと詫びて伝えることが出来ました。
しかしまだまだ、喧嘩も多い母子です。
でも、今は適度な距離を置きながら、気を遣いあう関係を模索中です。
私の役目があるのだと、実感しています。
自分がもっと大人になって、もっともっと喧嘩を減らそう。
まだ、直ぐに自分が大人になって実践できるわけではないですが、気長に取り組む気持ちのゆとりが出来ました。

過去生での課題を現世で解くために、やはりこの家族関係は必要だったのだと考えると、実に辻褄があうのです。
「ひとりで生きていくこと」=「自立すること」を幼い頃から強く意識していました。
両親から見ると、全く甘えてこない私には寂しい思いもあったようですが。
弟が非常に手のかかる子供だったことも、実は弟が協力してくれていたのかな、と思ったりしました。
今回の過去生からの気付きが、現生のいろいろな問題を解決するための、大切な学びになっています。
本当に、ありがとうございました。

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