夜明けのレッスン(7)遠野の旅2008

2008-12-16 14:50 後篇を追記しました。


こんにちは。AQUA MIXTの寛子です。
気付けば、この連載も第7回となりました。

いつもいつも、本当にありがとうございます。

天使たちからの「この体験を書きなさい」という指令に対しての抵抗や現実逃避、自分の中で様々な葛藤や怖れの感情が、次から次へと湧き上がっています。
自分の無価値感に、直面しています。

しかしその無価値感や抵抗を否定せず、ただそのままに表現し、そして読み手に委ねること。
この「夜明けのレッスン」を書き始めて学んだことです。

時間軸があちこち飛んでいますが、前世療法編に戻る前にもうひとつ。 今回は、今年の夏の話です。
先月2日間に渡り[LADYBUG×AQUA MIXT]コラボワークショップを、岩手で行いました。
LADYBUGの朋恵さんとは2007年はじめに知り合い、共に学ぶ大切な仲間となりました。何度も朋恵さんの存在に、助けられました。
2007年10月には、私たち夫婦と一緒に米国カリフォルニア州ラグーナビーチにて行われた、ドリーン・バーチュー博士のAngel Therapy Practitioner Courseに共に参加。そしてコース終了後は、アリゾナ州セドナまでの無計画長距離ドライブ旅行を3人で共にした、魂の家族的存在です。
(米国での体験談も、そのうち書きたいですね。)

岩手でのワークショップを初めて開催したのは、今年の8月頭
潤治はその後セッションの予約が立て込んでいたので先に帰京したのですが、私はその後残り、朋恵さんと岩手の旅をしました。

その時の朋恵さんと過ごした体験は、私の10数年来の罪悪感を手放すきっかけとなったのです。


ワークショップが終了した次の日、以前から河童や座敷わらしで有名な遠野に興味があったので、案内付で行くことになりました。

案内をしてくれたのは、朋恵さんの友人のイラストレーター岡部慶子さん。
以前イラストのお仕事で遠野にも行かれたそうで、座敷わらしのいる宿の話などがとても面白かったのです。

私は子供の頃から、母が出会った座敷わらしの話を聞きいていました。
自分にとっては妖怪はおどろおどろしいものではなく、自然の精霊たちに近く、自分たちを守ってくれる存在(でもいたずらは好き)という感覚で育っていました。

天使が大好きで、好きが昂じて現在本業になっているわけだけど、天使のイメージは宗教は関係ないとは言っても、欧米のキリスト教文化の影響を強く受けています。
もっと日本古来の感覚で聖なる存在たちと繋がりたい。そんな風に思っているので、妖怪たちも私の興味の対象です。
ジブリ映画なら、「トトロ」や「もののけ姫」などの感覚に近いかしら。

そんなわけで、当たり前のように河童や座敷わらしの存在を信じている遠野の人々の生活、そしてその場所でどんな体験があるのか、子供のようにわくわくしていたのです。

女3人遠野の旅は、花巻からスタート。
慶子さんには案内兼運転までしていただいて、本当に感謝です。

慶子さんのお勧めスポットに寄りながらドライブをし遠野の田園風景を満喫した後、ホップ畑を抜けて外れにある早池峰山方面へ向かいました。
そこには、例の座敷わらしで有名な民宿「わらべ」があり、近くには重湍渓というきれいな水辺があります。
遠野しばし重湍渓で、3人で童心に返って水遊び。時間を忘れて、ひたすら水辺で清流の流れに遊び、魚と戯れたりしていました。自然の中で無心に過ごすって、いろいろなものが浄化されますね。

どれくら過ごしていただろう?遊び疲れて身体も冷えてきたので、次の目的地である座敷わらしがいる民宿「わらべ」に向かうことに。

慶子さんが先に上がって、車をターンさせいていました。
ターンが終わるのを待っていた時、車は横向き。
そしてふと、後部座席に小学生くらいの女の子の座っている姿が目に映りました。

本当に「映った」、というビジョンでした。車の窓に映ったようなイメージ。
横顔の表情はよくわからなかったのですが、髪が長く白い服を着ていました。
その時の自分の感情は静かで、不思議にも思わず何も考えずその女の子を見ていたのです。
しかし、車にさあ乗りこもう、という時には、その女の子の姿はもうありませんでした。
その時は、あまり気に留めずに「わらべ」に向かったのですが・・・後々、朋恵さんとの会話で気付くことがあるのです。

「わらべ」は一見、田舎にあるごく普通の釣り人のための民宿。
ここにある宿泊者の日誌は、釣りの話から座敷わらし体験の数々がつづられていて本当に面白いものでした。
取材も多いようで、その日も雑誌の取材が入っていました。
私たちは、お昼御飯を頂きながら宿のご主人とお話をしたり。
ご主人が雑誌の取材の対応で席を外されてからも、生の体験談だらけの日誌を読んだり、紹介された雑誌や新聞記事を読んだり、座敷わらし話に花を咲かせていました。
そこでふと気になり、2人に打ち明けました。
「実は、さっき車の後部座席に女の子を見たんだけど・・・あれって、座敷わらし?」
だとしたら、なんとなく拍子抜けな感じ。

日誌の宿泊者体験談を読んでいても、「座敷わらしに会いた~い!!」って執着している人は連泊しても会えないことが多いようで、執着のない人(あるいは釣りなど別の目的の人)ほど会えるような傾向を感じました。

油断した・・・と、その時ちょっと思いました。

私が後部座席に女の子を見たとき、慶子さんが一人で車を運転していたものだから、大丈夫かな?!と彼女はちょっと怖がっていましたけど・・・悪しき存在の気配は全く感じませんでした。
朋恵さんと二人で伝えたから、説得力あったかな?!

そんなこんなで「わらべ」を後にし、あと何箇所か回って、花巻で解散。
朋恵さんと二人になり、夕食や偶然近くで行われていた花火大会、温泉、そして夜の満天の星空ドライブを楽しみました。
二人で本当に、いろいろなことを語り合いました。
その中で天使からメッセージ(というか司令)が来たので、朋恵さんにあるワークを紹介して一緒にやることにしました。
お互いの関係をよりクリアにするために、今まで人に言っていないことを伝え合う、というペアワークです。
そこで早速、私はなかなか人に言えなかった話を朋恵さんに伝えることに。

前回の「夜明けのレッスン」で書いた、共依存の関係にあった人とのことです。
<後篇追記:ここから>

「夜明けのレッスン」遠野の旅2008 前篇を書きながら、またもや私は本題の部分を書く事に抵抗をしていました。
そんな時、先日の記事で紹介した「愛とは、怖れを手ばなすこと」
レッスン9
「過去は過ぎ去ったことであり、私に触れることはできない
(The past is over – it can touch me not.)」
の章に助けられ、癒されました。
潤治はよく「自分はトラウマのデパート」と表現していますが、私の方は「罪悪感のデパート」。20代の頃をこうして思い出すと、次から次へと様々な罪悪感が出てくる出てくる・・・。

それでは、朋恵さんと話たことを中心に、遠野の旅後篇です。
夜明けのレッスン(6)暗闇の前兆 でも書きましたが、転職前に付き合っていた人とは今思えばひどい共依存の関係でした。
その人を本当に愛していたかどうか?今考えると、全く自信がありません。不幸な身の上話に同情したところが大きいと思えます。
しかしその時はそれこそが愛だと勘違いし、真剣に結婚も考えていました。
『誰かに必要とされること』が一番の自分の存在理由、そしてたまたま近くにいた大きな悲しみと不幸を背負っている、自分を必要としてくれる人でした。しかし、私が心身ボロボロの状態で別れる決意をしたきっかけは、結婚できない人と付き合っているがために選択せざるをえなかった、2度の中絶。

1度目の妊娠。付き合い始めて数ヶ月。
すでに何年も別居中の奥さんとは、直ぐには状況は変わらなさそうだ、という理由で「諦めて欲しい」とすぐに言われました。
その時の自分にとっては、中絶は一番人としてしてはいけないこと、でした。けれども、自分が選んだ状況でした。
その矛盾に、昼は自分を追い込むほど仕事に打ち込んでいましたが、夜一人になると毎晩罪悪感が襲ってきました。死ぬことを毎日考えていました。

その時に別れる決心も出来ただろうに、何度も別れ話、あるいは別れなくても離婚が成立するまでは距離を置きたいことを自分から切り出しても、泣きつかれて決心を鈍らせてしまうのでした。

それから1年も経たず、2度目の妊娠。
その時の彼からは一転「産んで欲しい」と言われました。
自分としては結婚前提の気持ちで付き合ってきましたが、その時彼の別居中の奥さんは居場所も分からず連絡のつかない状態。状況を変えると言い続けながら、何も変わっていませんでした。口先だけでした。
それでも、田舎の家族に紹介したい、とか、会社では内縁の妻も家族手当が出るんだ、などと話を進めようとしていました。
その時に、彼の別居中の奥さんの想いをありありと思い描くことが出来たのです。直接会ったこともなく知らない人でしたが、私がその彼と出会うずっと以前のある事件。それを境に別居するまでに至る過程。この人と辛さを共有出来ず、ひとりで苦しんでいたんだろう、ということを実感しました。
彼は奥さんとのことで非常に不幸な事件に見舞われた結果、第三者に幸せな家庭を壊されて、とても辛く傷ついていると話していました。その事件がなければ、ずっと幸せだったと。
しかしその事件のことは中立な視点で見たら、傷ついて苦しくかったのは、彼はもちろんだけれども、彼よりも彼女の方なのではないか。けれども彼は、愛しているがゆえに自分が一番つらくて傷付いていると、主張していました。
本当に言葉通りに彼女のことを愛していたのであれば、自分の辛さを乗り越え彼女の痛みを理解して、一緒にいてあげたことではないのだろうか。
向き合えない苦しみから、彼女は家を出たんだ・・・ということが、ふと理解出来た瞬間でした。
そして彼の、いつも自分が一番悲劇の中心にいる、という思考は変わっていない。自分の罪悪感と孤独感も、その人と一緒にいる未来では解放されないと、実感しました。
そして、今度こそ本当に別れる決意をしたのです。
その決意も何度か鈍って、何ヶ月か掛かりましたが・・・

転職後、「生霊が憑いているんだよ」と教えてくれた霊感の強い上司は、私の2回の中絶による罪悪感もお見通しでした。
けれども、心身のダメージにサイキックアタックに低いエネルギーの憑依にと、お祓いをしただけでは根本解決になりません。
様々な罪悪感の暗闇の中、鬱による休職期間を過すことになったのです。
何が一番の鬱の原因だったか?!と言ったら、どれと言えないほど多くを抱えこみ過ぎていました。
それらはいくら休職して神経科に通院しても薬を飲んでも解決する問題ではなく、ベストのタイミングでひとつひとつ順番に癒していく必要があったのです。

過去の回想はこの辺で、今年の夏に戻ります。
朋恵さんとのペアワークでこの事を伝えた時、朋恵さんは生まれて来ることが出来なかった二人の子供の存在を感じて、私へメッセージを伝えてくれました。

「お母さんが、僕たちを守ってくれた結果だから・・・」
いつも、他に選択肢があったのでは?なんとか産んでやっていけなかったのだろうか?という悔いに対するメッセージでした。

「忘れないで想ってくれていれば、大丈夫。」
罪悪感を持ち続けるのではなく、かといって忘れてしまうことでもなく。
きっと違う形で生まれ変わって、出会うことができる。これは確信している。

「あの遠野で会った女の子が、そうだよ。」
朋恵さんの意外な一言!
そう言われてみればあれから10数年、年もそれくらいになっている。
もう罪悪感を手放して、子供を持つことに怖れを抱かなくていい、そんなメッセージを伝えに来てくれたんだってことを、実感しました。
そしていつもそばにいて守ってくれていて、次にこの世に生を受けるのを待っている。本当は知っていました。けれども、罪悪感がそれを打ち消していました。

休職していた時に恩師にいただいた「生きがいの創造」(飯田史彦著)には、故人のメッセージをリーディングする遺族カウンセラーのジョージ・アンダーソンのセッションの例が紹介されていました。
私たちが行っている、ミディアムシップ(亡くなった方とコンタクトを取るリーディング)と同様です。

そこには、事故で子供を亡くした親の罪悪感や流産・中絶した赤ちゃんからのメッセージなども紹介されています。
何らかの事情でこの世に生を受けることが出来なかった子供たち、早くに命を落とした子供たちは、親を恨むことも一言も不平不満を言うことはありません。
むしろ、罪悪感を抱えている親を心配し、労り、励ましています。
この本を読んだ当時、海の底にいるような状態でしたが救われる思いでした。
それでも、長い間自分が自身を許さなかったのです。

この数年でスピリチュアルな世界に導かれ、様々な霊的な存在と繋がりリーディングを仕事にするようになっても、この罪悪感は頭では分かっていても、メッセージが自分に届いていてもなかなか手放せないものでした。
けれども、遠野で姿を見せてくれて、そして朋恵さんを通してメッセージを伝えてくれたこと。
リーディングセッションでも一度もテーマにしたことのないほど隠し続けた、10数年の罪悪感を手放す、大きなきっかけになりました。

そして、朋恵さんも人に言えないことを私と共有したことで、大きなリリースが起きたようですよ。本当に、このような感覚を共有出来る仲間が大切です。
朋恵さん、素敵な夏の岩手の旅をありがとうるんるん
そして、最後まで今回もお付き合いいただいた皆様へ。
感謝を込めて、ありがとう。

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コメント

  • コメント (5)

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    • 黎来寛子(Leki)
    • 2008年 12月 20日

    >T子さま
    今回もコメント、そして告白ありがとうございます。
    私も、みなさんから寄せられる体験談や感想に、励まされています。
    人は誰もが完璧ではないけれども、そのままで完全な存在なんだと、ひしひしと感じます。
    自分で受け入れられなかった過去が、少しずつ浄化され、受け入れられるようになりました。
    赤裸々に、これからも語っていきたいと思います。
    本当に、ありがとうございます。
    >みーさん
    いつもいつも、こちらこそありがとう。
    私も、ライフワークを生きることに怖くなること、え?これもやんないとだめなの?!って指令にビビることも多数。
    恐怖はいつも、隣にある。
    でも、それを一緒に味わい乗り越えていこうね!

    • みーさん
    • 2008年 12月 18日

    ヒロコピー、
    ありがとう。

    • 福島のN田T子
    • 2008年 12月 17日

    寛子さんのブログとっても良かったです!色々な面で解放されました。そういえば、、私の友人もホストに遊びに行き、一夜限りの関係を結び妊娠してしまいー堕胎したと、泣きながら私に電話をくれた事を思い出しました。 死にたいと呟いていました。そして、私は堕胎ではないですが、当時つきあっていた彼に結婚しようと言われたのですが、私は本気ではなかったので、断りました。今思うと酷いヤツ~別れた後、彼は自殺未遂をはかり鬱病になりました。新聞社に就職が決まっていたのに。それから一年半ぐらい、私は金縛りの日々。目の前には、彼の顔ー生霊ってヤツですね。それから五年以上~私は自分を責め、死んでしまいたいほど自分を憎みました。彼氏も作らなかったし恋もしませんでした。私は最低。しかも、その後に既婚者との恋愛ー今思うと共依存。自分なんか恋人をつくる資格ない、そう思いながら生きてきました。でも誰もが完璧に人生を歩むのではない。自分の罪悪感のリリースを後押しさせて貰えました。とっても感謝!です♪少しだけ自分の胸から矢が抜けた感じと言いましょうか。。心が軽いともかんじられます。寛子さんが、体験を書いて下さって、私にも僅かながら変化がおきました。それは、何年かぶりに、行き付けの美容師さんに恋?できたこと。憧れの方が強いでしょうけど、彼もブログをやっていて、独身&彼女もいないとのこと。女を捨てていた私が、男性を意識するのはカナリご無沙汰です(笑)こんな私でも恋してイイんだと自然と変化できました。改めて、寛子さんの勇気に感謝致します。

    • 黎来寛子(Leki)
    • 2008年 12月 16日

    れんさま
    コメントありがとうございます。
    岩手は思い入れのある場所だったのですね。その時の旅の様子、ぜひ今度聞かせて下さいね!
    私は今年の8月のワークショップの打ち合わせで7月に行ったのが、初岩手でした。
    不思議なエネルギーの感じられる場所でした。
    きっと、れんちゃんも再度意識の切り替えが必要なタイミングで、岩手の旅を思い出したのかもしれませんね。
    書くのがつらい体験談も、こうして誰かのきっかけになればという思いでなんとか書き進めています。
    いつもありがとう。

    • れん
    • 2008年 12月 15日

    こんばんは、れんです。
    今回の遠野の旅を読んで、私も岩手には特別な想いがありましたので、コメントさせていただきます。
    私が、所謂メンタル的な危機を乗り越え切り替えるきっかけとして選んだ旅先が、岩手でした。
    女一人旅、一週間。
    遠野は駅でレンタサイクルを借りて突っ走りました。河童淵もいきました。座敷わらしのお宿には行きませんでしたが、ほんとうに遠野には民話や妖怪が生きているような地ですね。岩手の真ん中で、土地自身が山の中に静かに息づいているような厳かな感じがしました。
    岩手には、また行きたいと思わせられます。
    今また行ったら、きっと、当時とは違う感じを受けるんでしょうね。
    寛子さん、懐かしくて優しい思い出を、再び思い出させていただいて、ありがとうございました。

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