この世に導いてくれた両親に感謝する

理想のパートナー・運命の人

こんばんは。潤治です夜FA034.jpg
寛子の不妊治療の記事がアップされるようになりました。
精神的、身体的な負担を寛子にかけてしまっています。
クリニックに行くと、待合室などの雰囲気から、いろいろな感情を感じとります。その感情を感じ取っては、生まれてくる子がいかに恩恵をすでに与えられているかを感じます。“生まれてきてほしい” 切なる思いが心配と期待で入り混じっています。待合室には、そんな空気というか、感情が漂っています。
命に祈りを捧げている女性たちを神々しく感じます。
こうした治療の前に、夫婦各自の課題がありました。
目に見えるというか、実質的なお話になると夫婦お互いの身体の機能などになります。
しかしながら、目に見えない部分である感情や意識の部分を見つめる必要も少なからずあります。
僕の課題は “父親になることへの怖れ” です。

両親が愛し合って、生まれてきたはずの自分なのですが、
そのことをいまいち信頼することができませんでした。
愛し合ったふたりから生まれてきたのなら、
両親は離婚するはずがないと幼い自分ながらに思っていたからです。
毎晩、繰り返される夫婦喧嘩に、幼い自分は怖くて何もできずに目をつぶって、
ふとんの中にいるだけでした。
だからなのか、今でもふとんからでるのに抵抗する朝もあります…。二度寝も好きです。
AQUAMIXT では、夫婦喧嘩から学びがあるとお伝えしていますが、
僕が幼いころに両親のしていた夫婦喧嘩は、
ただただ、相手を傷つけ、乱暴をするだけでした。
父の母に対する言動は、子供ながらにショックなことが少なくありませんでした。
“父のようになりたくない”
というのが、幼い頃の僕のモチベーションだったと思います。
それと同じくらい心の中にあったのは、
“もしかして、家庭を持ったら、父のようになってしまうのではないか?”
“僕も暴力をふるい、相手を傷つけて、家族に優しくなれないのではないか?”

なので、“お父さんに似ているね” と人に言われるのが、とても嫌なことでした。
…と同時に怖ろしくもありました。
結婚して、子供を持つようなことがあったら…、
その子供に僕はあの父のように振る舞ってしまうのではないか…
と思うと怖くて仕方がないのです。
そういうことを考えるのも嫌なので、思考停止状態でした。
そんな誤解してできた考え方や感じ方を夫婦で、話し合ったり、癒しあったりしてきました。
そして、ここ数年の間に、僕の幼い頃の父や母の気持ちを理解する機会がありました。

父がどんなに母や僕に罪悪感や劣等感をその頃に持っていたか、
その劣等感を隠すため、他者から自分を守るために虚勢をはったり、
母を攻撃していたか…。

母がいかに自分を押し殺し、父をサポートしようとしていたか、
息子中心の人生を歩もうとしていたか、
母なりに家族を大切にしていたか…。

さまざまな埋まっていないジグソーバズルのピースが埋まっていきました。
父も母も精一杯だったんだと…
ふたりとも、愛し合ってくれたんだと…
ふたりが僕を導いてくれたんだと…

埋まっていったジグソーパズルの絵は教えてくれました。
間違った愛しかただったかもしれないけど、
伝わらない愛しかただったのかもしれないけど、
父も母も一生懸命に愛してくれたことを、ようやく大人になってから、
受け取ることができたのです。
愛されたことを受け取ると、愛することができる…。
父とは違って、僕の愛しかたで、愛することができる…
それを選択する力を僕は持っている…
そう自覚することができたのでした。
そのことを認め、自分自身の責任で人生を歩むことが怖かったのかもしれません。
親のせいで、今の自分の不幸があると言えれば、楽なことも少なくないですもの。
父親になることへの怖れは、だいぶ緩和したのでした。
ジグソーパズルのピースはまだまだ、集め続けるのでした…。

父親が子どもたちのためにできることで一番重要なことは、
子供たちの母親を愛することである。
―セオドア・ヘスバーグ(アメリカの神学者・哲学者)

タイトルとURLをコピーしました