パートナーよりもパワフルになることを怖れてサポーターに

理想のパートナー・運命の人
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
開花する
AQUA MIXT 潤治です。
このところ、寛子はアクセス・コンシャスネス(R)の講座三昧、セッション三昧でした。
そして、ファシリテーターにはなるし、違うプロセスを習うし、施術するし、水を得た魚のように水を得た魚のように毎日を生きています。
想定以上の出来事にすでに僕はあっぷあっぷの状態なのですが、寛子は喜びに満ちあふれています。
浄水器を扱うことにもなり、その素晴らしさと生活の快適さの恩恵を受けていながらも、またもや僕はあっぷあっぷの状態にダブルで陥っています。
「アクセスとか、水とか、どんどん遠くに行くなよ!寛子!
とコミック「タッチ(あだち充著)の上杉達也ばりの台詞をかましてみましたが、
「追ってこい!」と囲碁漫画「ヒカルの碁」の塔矢アキラばりに返されて、
そのうえ「間違いないぞ!」とすごまれ、抱きしめられました。
愛と遊び心と慈しみと感謝の化身である寛子に「凄味」が加えられ、
そのパワフルさはぐいぐい上がり続けています。

その寛子を見ていると、
産後、思うように仕事ができず、悶悶としていたことが夢のようです。
その時は、今後のAQUA MIXTをどう展開するかプレッシャーを感じていたものです。
幸いなことに産後は、その育児との両立がしやすい形態で仕事の依頼が増えました。
僕個人としての企画や仕事も増え、多くの支持もいただきました。
イメージ通りに仕事が進まないと言いながらも売り上げは伸び続けました。
悶悶としている寛子と育児や家事をシェアしながら、
フォワードとして点を取っている自分を誇らしげに感じていました。
ブレイク時の芸人 オリエンタルラジオのような錯覚をしていました。
悶悶としている寛子をサポートしている時は、優しい僕でしたが、
このところ、飛ぶ鳥を落とす勢いの寛子には、厳しい僕となっています。
完全にフォワードのポジションは、寛子であり、
僕は中盤のパス回しを担当するミッドフィルダー、
もしくは点を取ることはまずない守備担当のディフェンダーと
自らを思うことがしばしばありました。
何のことはない、寛子がパワフルになっていくことを心から応援できない僕がいました。
応援していたのは、パワフルではない寛子であり、
僕が彼女に献身的になれたのは、パワフルでない寛子だったからか?と自問し、
あまりの器の小ささに、うどん屋「つるとんたん(※)」の器と比べたくなりました。
※器の大きさが有名なうどん屋さん
女性は敏感だから、そうした男性の嫉妬心
自信喪失になるサインを見極め、
ご主人よりも、パートナーよりもパワフルになることを自制してしまうのでは?
または、女性はこうあるべきという日本の価値観に汚染されていることはないだろうか?
と感じることがあります。
お互いのパワーが拮抗していたり、お互いが惨めな思いをしなければならない時、
女性が男性に遠慮をしたり、女性が犠牲になることがあるのではないでしょうか。
女性のご相談内容の中には、ご主人をサポートしたいというものがありますが、
はたしてそれは「主訴」だろうか?とその方の守護天使に訊きます。
大方、ご主人やパートナーへの愛情表現の形であり、
それがご主人やパートナーには届いていないことがあります。
それを知らず…、
フォワードで点を取る日向小次郎(※)よろしく勇み足な男たちの姿が浮かびます。
※【潤治メモ:日向小次郎のドリブル】
 漫画「キャプテン翼」に出てくる主人公 翼のライバル。
 天才型の翼に対し、努力型の天才ストライカーである。
 なぜかユニフォームの袖を肩までまくるという癖があり、
 ランニングにすればと多くの場面で思わせた。
 また、海の浅瀬で波を蹴り上げるという独特のトレーニングをし、
 若干の方向性に疑問を持たせながらも、 強靱な肉体を作ることに余念が無かった。
 その強靱な足腰から繰り出される直線的なドリブルを得意とする。
 ちなみに来月8月17日(月)で45歳を迎えることになる。
寛子との出逢いは僕の魂の成長を促すためのものです。
良い意味で寛子はそういう僕の器の小ささを刺激してくれます。
そうでなかったら、僕は気づかずに寛子のパワーを奪い続ける男になってしまうところでした。
最後にこの質問で閉じます。
あなたのパートナーに遠慮をしていることはありますか?
あなたがパートナーよりもパワフルになることをあなたは許していますか?

コメント

  1. 潤治 より:

    m 222 さま
    コメントありがとうございます。
    人と接することによる気づきや学びはとても楽しいものですね。
    パートナーとなるとそれはまた深く炙り出されるような感情もあり、
    それはそれでありがたいことだと思っています。
    自分の力を知ろうとせずに、優しい譲歩が人生を複雑にしているということがあるかもしれません。
    では、またそのあたりも書いていきたいと思います。
    たくさんの愛と感謝をこめて
    AQUA MIXT 潤治

  2. m 222 より:

    おはようございます!
    とても、楽しく読ませていただきました!
    ( ´ ▽ ` )
    深い…ですね。パートナーに限らず、
    無意識の域で、対する相手とのバランスをとりながら、接する自分を時々感じます。
    何を目指しているのか、自分でもわかりませんσ^_^;また、そういうことを私の意識にのぼらせない(通用しない)お相手も、たまにいらっしゃいますね。それも…うーん、なんなんでしょうね…。そんな私ですが、最近そういう接し方が少し減った気がします。笑わないでくださいね。向かい合う相手の方に、その人だけの光!がみえるのです。年齢、自分との関係性、出会ってからの年数etc関係なく、その光がみえるものだから、容赦のないリスペクトと、無調整の自分を向けてしまうのです。それは、自分が初めて感じる不思議な境地ですし、新鮮で心地よいものなんです。そして、人と接するのが、以前より楽になりました。パートナーという関係性となると、また別かもしれませんけれど。男性をたてる心意気、昭和の女性にとっては一つの美意識かもしれません。でも、小手先芸ではないですけどね、本当は女性が200%自分を生ききっても、お相手を超えるなんてことにならない、させない感じが、本当の愛情で結ばれてる方たちには、流れてる気がします。私にはまだ、経験ないことで恐縮ですが…。

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