僕の「好き」は誰かを納得させるためではないし、免罪符も必要ないんだよ

僕が小学生の頃、ドッチボールが好きでした。

給食が終われば、すぐに外に出て、数人の男子でドッチボールをし、帰りの会が終わって放課後になれば、陽が暮れるまでやり続けました。クラスの女子は呆れていましたが、僕たち男子は夢中でした。

「将来、プロになるんだ!」
「プロになる人は小学生高学年には、大会に出ているからね。」
「ドッチボールをやっていると健康に良いんだ。」
「やり続ける姿勢は、中学受験に有利なんだ。」
「ドッチボールを楽しんでいる姿で、世の中にワクワクを伝えたい。」
「僕たち、ドッチボーラーですから。」

などということは微塵も考えていません。

なんだか楽しいし、もう、理由などないし、女子たちにその楽しさを分からせようとも思いませんでした。

しかし、しばらくすると数人の女子もドッチボールに参加するようになりました。
体格は女子のほうが良かったりするのが小学生4年生男子の悲しいところで、バシバシと女子にボールをぶつけられました。

ドッチボールの輪は広がり、他のクラスを巻き込んでいきました。

彼らに今、僕が「そんなことして意味あるの?」と問えば、きっとこう答えるでしょう。

「意味なんてないよ、楽しいからやっているんだよ。なんで?おじさんッ」

大人になると、好きなことを好きという、しかも、それをしてどうなの?と自分自身を疑ってしまうような「好き」という氣持ちを隠してしまうことがあります。

それを他人と共有するなんてことは恥ずかしいことであるかのように。

あの日のレッスンは、
不思議な達成感があった回となりました。

資料作りにも、
あんなに長い時間しゃべったことにも、
確かに達成感がありましたが、
あの不思議な達成感は、
〈好き〉が生み出すエネルギーを
実感したからかもしれません。

無理なく力が出せるというか、
スイスイ進めるというか、
とにかく頑張らなくてもいい(笑)
でも結果が出る、みたいな。

楽しかったです。
楽しそうに聞いていただいたおかげです。
ありがとうございました。
貴重な経験でした。

お二人からいただいたすてきなことばをちゃんと留めておきたくて、
取り急ぎFacebookにアップさせていただきました。

いよいよ行動編も最終回。
楽しみなような、やっぱり少し怖いような(^^;

本当にいつもありがとうございます。
次回もよろしくお願いいたします。

(S.K さま 女性)

ライフパーパス個人レッスン行動編では、この「好き」の持つパワーを実感します。

ありがたいことにこの日本では、法律で表現の自由は守られ、つるし上げられることもなく、断罪させることも、ましてや火あぶりされることもありません。処刑台も用意されていません。

ただ、残念ながら、人から評価されるという教育のもと、羞恥心や失敗への怖れなどが心と身体に深く入り込んでいます。この体質を変えるには、好転反応があるかもしれません。

レッスンは、モチベーションを煽ることも、コミットメントを引き出すような圧迫感もありません。

カンフル剤は打ちません。

それだけに、楽しむことを自分で決めるという、小学生の頃はひょっとして当たり前だったことを思い出します。

行動編~発展編を経て、「好き」という氣持ちが、人を動かし、多くの人を巻き込み、豊かさを分かち合うことになっていく楽しさを習得します。

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