昨日は、アクセス・バーズのギフレシ会(交換セッション会)でした。
1歳〜5歳の子どもたち、総勢4名が我が家のリビング、ダイニングで自由気ままに遊びたおしました。
セッションをする参加者やママたちはセラピールームと別室で、子どもたちに目が届きません。
(なぜ、同じ部屋で実施しなかったのか?いつもならそうしたのに…。)
セッションを受けながら、施しながら、聞こえてくる「溢れるぅぅ!」「ママぁ!来てぇ!」「ポテトチップスばら撒いちゃったぁぁぁ!」「あッ!」「あ〜ぁ!」と子どもたちの声…。
セラピールームに居ながら、目を閉じて現実逃避する僕でした。
(見てしまうから怖いのだ、目が見えなかったら、この事態をどう見る?と自問しながら…)
しかし、現実は惜しみなく僕に与え続けて、びしょびしょに濡れたカーペット、散乱したポテトチップス、ボロボロと崩れやすい粘土の床への粘着…など、子どもたちが僕に「わざと刺激しているのか?」と思わせてくれます。
子どもたちは、大人の心をかき乱し、混沌から何かを生み出す機会を与えてくれる
大人は、そんな子どもたちにイライラしてはいけない…と思うかもしれませんんが、イライラする自分を抑圧すると、それは違う形で表出していきます。より、自分に言い訳して表出させるために大義名分を探してしまうことは、かえって人生を複雑にしてしまいます。
さて、その場合にどのように対処するかは、僕自身、心得ていますが、昨日は新しい扉が開いたように思います。
「自分、まだまだ伸び代あるなぁ!!」とイライラが鎮火していくほどにはっきりと思えました。
自分の心をかき乱してくれる人は必ずいるものです。
あなたにとって、そのような人はどのような人ですか?
それを感じないように生きることももちろん可能ですが、それは「感情を味わわない誓い」のようなものです。
二極性のドラマを生きる人生はスリリング?
喜びも悲しみも怒りも悲しみも、それぞれ存分に味わってこそ、人生は彩りを増やしていきます。
「喜びだけ、来い!」と言ってもそう思うようにいかないようです。
喜びを感じさせてくれるための、悲しみ、怒りもあるわけですから。
その高低差というか、二極性を味わいやすい関係は家族や夫婦、恋人やパートナーといった関係でしょうか。
その二極性のドラマの中に生きると人生はとてもスリリングかもしれません。
まるでジェットコースターに乗っているような気分かもしれません。
しかし、そのドラマの中毒になってしまうと、なかなか魂が本当に望んでいる人生を歩む遅延策になることもあるようです。
- 親のことを許さない
- 金持ちになって世間を見返してやる
- いじめられた傷をはらしたい
- 犠牲者の自分でい続けて、周りに罪悪感を植え付ける
- パワーを得て、大きく見せたい
- 次から次へとやってくる逆境を乗り越えてみせる
- 目標を次々と立てて、達成し続ける
などなど、時には生きがいを得やすいものもあり、魂が望む人生(ライフパーパス )に合致しているような気持ちにもさせます。
その動機は本当に魂が望んでいるものでしょうか?
さて、
その違いはどう見つけ出すのか?
どうすれば、安らぎの中で人生を歩めるのか?
確固たる自分を持ち、他者から影響を受けずに穏やかでいるには?
AQUA MIXT ライフパーパス個人レッスン
AQUAMIXT のライフパーパス 個人レッスンは、多くの人の生き方をサポートしてきました。
いろいろな人生での経験、感情や感覚、価値観をシェアしながら、レッスンは進めていきます。
準備編は自分を知り、伸びしろの多い自分を確認する作業がひとつあります。
行動編は人との関わりの中で自分を表現したり、受け取ることを実践します。
発展編はそ表現や行動などから、資本主義社会で「お金を受け取る」ことの喜びを実践していきます。
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