こんばんは、潤治です
今日は日本リビングビューティー協会 ローフードシェフコースを受講されている方々が腕を振るい、ローフードパーティーを開いてくれました。寛子とともに協会がある神谷町にまで行きました。ローフードを究めんとする情熱を感じる料理の数々でした。
とくにラザニアは濃厚なトマトソース、チーズのような風味、パスタの食感を出すズッキーニが驚きの美味しさでした。濃厚でクリーミーなのに、食べた後の胃の爽快感がたまりません。おもてなしローフード料理を堪能した寛子と潤治でした…。
このシェフコースのために、カナダからシェフが来日してくれて、素晴らしい料理を振る舞ってくれます。それを上げ膳据え膳で食べられる至福を感じていました。
僕たち夫婦はローフードマイスター認定校 多摩聖ヶ丘校 としての活動もしていますので、スキルアップなどは心からしたいと思った時にしていく予定です。
そんな折り、他の認定校の皆さんやシェフコースを受講されている皆さんから、声をかけられます。
“潤治さんは、上のコースを受講されないんですか?”
この言葉を聞くと僕の心がざわつき始めるのです…。
先日、の記事「乗り遅れる怖れ…自動思考が人生のハンドルを握る~その1~」を
書かせていただきました。
僕の “遅れてはいけない” という自動思考は人生の重要な場面で
行動決定をしてしまっていたというお話です。
今でもその“遅れてはいけない” という無意識が僕をコントロールしてしまうことがあります。
そんな時に心がざわつくのを感じます。
なので、心がざわつく時、または妙にハイテンションになる時、
自分自身に質問することにしています。
本当の目的は何?
ひとりでもそれをする?
僕は何を本当は望んでいるのか?
好きでしているの?
この質問を自分に出来なかった頃の僕は…
なぜ、浪人時代、予備校へ行ったのだろうか?
予備校に行って、勉強することが大学に受かるために必要なことだと誰かに教えられたから。
みんなも行くらしいし…。
なぜ、卒業と同時に就職したのだろうか?
就職とは卒業と同時にするものだと思っていたから…。
やりたいことがあったけど、大人になるということは
夢を捨てることと誰かが言っていたから。
なぜ、仕事だから仕方がない と思ってやり続けたのだろうか?
みんなそうだから…。それが社会人になるということのように思えたから。
会社から出るということが、いかに恐ろしいことか、先輩にとうとうとお説教されて…。
なぜ、その職場に居続けたのだろうか?
我慢することが、その場にいるためのチケットだと思っていたから。
“大いなる我慢号” の船員でいる安心感を手に入れたかったから。
なぜ、その資格を取らなければいけなかったのだろうか?
みんなが取っているから。そうすれば、スタートラインにつけると思ったから。
“永遠の準備中” でいることで、何かを誤魔化そうとしていたから。
僕はいつの間にか、遅れることが失敗、みんなと違うことをすることが
リスクだと思い込んでいたのでした。
本当の目的を棚上げして、遅れないために頑張るという意識でした。
自分の歩んでいく人生の道には誰もいないのに、
なぜ、誰かに遅れをとってしまうと思うのでしょうか…。
こうして、意味なく自分を縛っている自動思考と向き合うためには、
静かな心で、自分に訊ねてみるといいかもしれません。
本当にそれをしたいですか?
誰にも認められなくてもそれをしたいですか?
その選択に10年後の自分も感謝してくれますか?
その選択をした自分に優しくなれますか?
…と質問力を駆使して人生を歩んでいこうとあらためて思う潤治なのでした。