乗り遅れる怖れ…自動思考が人生のハンドルを握る~その1~

おはようございます、AQUAMIXT 潤治です晴れaud0002-009.jpg
昨日、都心に出るために自宅最寄りの駅である京王永山駅に向かっていると、乗ろうと思っていた電車にぎりぎりであることに気づきました。乗ろうと思っていた電車だったので、早歩きで駅へ急ぎ出します。
目的地には十分すぎるほど間に合う時間だったのですが、その電車に乗ろうと思っていたので、意味なく走ったりもします。駅に向かう人たちも心なしか急いでいるように見えてきます。時間に間に合ったので、その電車に乗り込みました。ギリギリセーフ…と胸をなで下ろします…。
しかしながら、その電車は、次の駅で数分間停車ししてしまいました…。後から来る急行の通過待ちをするとのことで、結局時間通りに乗り込んだは良いのですが、後から来る急行に抜かされてしまうのでした。永山駅にも急行は停まります…。一本後の電車のほうが速かった…。急いだのに遅れるという自分の失態を追い抜いていく急行を見ながら、苦笑いしていたのでした。
十分時間はあるのに、“乗り遅れてはいけない” と思うと、あまり深く考えることをせずに急いでしまいます。こうした自動的に、無意識に考えてしまうことを “自動思考” と言います。
認知のゆがみなどとも心理学用語では言うようです。
この自動思考が夫婦喧嘩の引き金になります。


パートナーの寛子は “何をするのが、一番楽しいか” がはっきりしています。
なので、そのためにどうすればいいのかを常に考えています。
僕の場合は “何をしなくちゃいけないか” を常に考えていたりします。
そこに自動思考が働くと夫婦喧嘩になります。
たとえば、ふたりがデートを楽しむために、観光地へ行こうということになると
寛子は猛烈にその観光地のことを調べ上げます。
いろいろな選択肢を増やすために、情報を徹底的に調べ上げます。
僕はというと、その観光地へ行けば何か楽しいことがあると考えるので、
調べることはあまりしません。
何時の電車に乗らないといけない…とぼんやりと思うだけです。
当日、何時何分の電車に乗らないといけないので、せっせと支度を始めます。
寛子はゆったりとマイペースで支度しています。
刻一刻と、乗らないといけない電車の時刻はせまり、僕は慌てます。
「何時何分の電車に間に合わないじゃない!?」
と支度がし終わらない寛子に詰め寄ります。
「次の電車でもいいじゃない。」
と寛子が悠然と僕に言います。
「それじゃ、何時に目的地へ着かないじゃない!?」
と僕は自分の描いていた予定が崩れるのを恐れながら寛子に再度、詰め寄ります。
「目的地へ着くまえに大切なのは私たちが楽しむことよ。」
と寛子が再度、慌てて険悪なムード全開の僕に、悠然と言います…。
「一番、大切なのは、私たちが仲良く、楽しむことじゃない。
そのために観光しに行くのに…。観光地に遅れずに行くことが目的じゃないわ。」

と寛子が悠然と僕に詰め寄ります。
(僕が勝手に詰め寄られている感を出し、被害者意識全開です)
よくある日常シーンですが、僕の “遅れてはいけない” という自動思考は
人生の重要な場面で行動決定をしてしまいます…。
ひょっとしたら、窮屈なその思考を手放すことが大切かもしれません。
何が本当の目的なのか…
何を本当は望んでいるのか…

僕は…
なぜ、浪人時代、予備校へ行ったのだろうか…
なぜ、卒業と同時に就職したのだろうか…
なぜ、仕方がないと思ってやり続けたのだろうか…
なぜ、その職場に居続けたのだろうか…
なぜ、その資格を取らなければいけなかったのだろうか…
なぜ…。
少なくとも、人生には、何時何分の電車じゃなきゃいけない理由はないのに…。
僕は自分で人生のハンドルを握っていたのだろうか…?
みんなが乗る電車に乗らなくちゃ…という理由だけで、
さまざまな人生の選択をしていたのだろうか…?
(続く)

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