いつもお読みいただき、ありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
クリスマスが過ぎ、仕事納め、年末ムードが高まっていますね。
クリスマスソングを聞くと無条件にテンションが上がりますが、我が家では寛子の実家で会食という時間を過ごしました。
クリスマスソングと言えば、あなたは何を思い出しますか?
「クリスマス・イブ」 山下達郎
「ラスト・クリスマス」 ワム!
「恋人たちのクリスマス」 マライア・キャリー
「ハッピークリスマス」 ジョン・レノン
「サンタさん」 ももいろクローバーZ
「いつかのメリークリスマス」 B’z
…などなど、まだまだありますね。
KinKi Kids の「愛のかたまり」が頭の中でリフレインする僕です。
さて、クリスマスまで受け付けていた
潤治の恋愛処方箋☆セキララレッスン【メール編】に多くの応募をいただきました。
メールの対応ですっかりブラインドタッチがさらにスピードUPする機会になりました。
いつも本当にありがとうございます。
さて、その恋愛をどのようなものにするかはその人の選択次第ですが、
その選択する自分の内側で何を原動力にしているかという問題も大切です。
何を原動力にしているか?
パートナーシップ、恋愛において考えてみると面白いかもしれません。
寛子とのパートナーシップにおいて、
例えば、彼女が「ポットのお湯、無くなっちゃたね。」と言えば、
条件反射で僕は「ごめんね、今、補充するよ。」と応えていたりします。
彼女にとってただの事実の共有も、
僕にとっては「責められている」と捉えてしまうわけです。
これは恋愛にも言えることですが、
その人のセルフイメージが関係性に大きく影響を与えます。
これは「罪悪感」を受動的に使用する例ですね。
自ら積極的にそれを使う場合もあります。
原動力にすると言えるかもしれません。
「私は、あなたのために何もしてあげれていない。」
「ゴメンね、こんな私のために…。」
「いつも悪いね、お金出してもらって。」
「元カノとはもう縁を切ったから、もう逢わないよ。」
「会社の人たちは僕たちの関係を知らないね。」
「ゴメンね、さっきは強く言いすぎたよ。もう二度と言わないから。」
「浮気はもう二度としません!ゴメン!」
「ちょっとメールでやりとりするだけの関係なんだよ、ゴメン!」
…などなど、そのシチュエーションはさまざま。
相手に対して・世間に対して罪悪感を用いることでその恋愛に隠し味を加えます。
ドラマティック恋愛の出来上がりです。
向かい風があった方が揚力が働きますからね。
浮気をしていながら、本命の人にとても優しいなんて構図もあります。
「浮気した後って、彼女にとても優しくできるんだよね。」
―とある昔の居酒屋での男子会でのある男のダメダメ発言。
ですから、浮気がばれる時、浮気されたほうは青天の霹靂なわけですね。
優しくしてもらっていただけに、ショックで眩みそうです。
そこで終わらず、その恋愛が続くとしたら、
浮気したほうが「相手につぐないをするために」という
新しいステージに移る場合もあります。
罪悪感は蜜の味でしょうか。
または、「痛みの幸福」とでもいうのでしょうか。
凪模様の恋愛はドキドキしないのかもしれません。
脳内麻薬を活用するために、ドラマチックなほうが良いというわけでしょうか。
罪悪感は確かにモチベーションになり得ますが、
そこからお互いが成長し、人生を豊かにする選択をし始めると、
また、新しい関係性になります。(本道はこっちぃ!)
巷の恋愛ドラマに影響されないで!
ドラマチックに恋したい状態から、
包まれる安心感の中で自分の使命に向かうことができます。
制度上、結婚をするとそうした状態に一時的になることもありますが、
やはり、大切なのはそういう制度に頼るのではなく、
お互いが深く理解しあおうとする意志が大切であるように思います。
面倒なことも多いですが…、
ドラマチックではないかもしれませんが、
喜びから溢れる愛があるように思います。
溢れたらおすそ分けしてあげるとそれが使命への原動力になります。
もちろん、脳内麻薬は分泌されませんが、穏やかな幸福感を感じることでしょう。
その幸福感は青天井ですから、さまざまな可能性が開いていくように思います。
罪悪感はパートナーとともにお互い見付けてみるといいかもしれませんよ。