こんばんは、小学校の頃のアニメの主題歌 “ときめきトゥナイト” のオープニング曲を口ずさんでいる潤治です。
先日、寛子の弟さんから譲り受けた車(ジムニー)に乗り、近所のTUTAYAに行きました。
屋上が駐車場になっており、休日のせいもあり、車も多く停まっていました。
DVDを借り、帰宅するために車に乗り込み、発進させたところ、新たに入ってきた他車が目の前を横切りました。
駐車場のスペースを考えると、出庫しようとしている僕の車をやり過ごしてから、その車は後ろ向きで駐車するのが、マナーであるように僕には思えました。
しかしながら、その車はハザードを点滅させ、先に駐車しようと動き出しました。
その車が駐車する一部始終を見て、僕に待っていろと?とモヤッとします。
普通、出る車をやり過ごしてから、駐車するのが礼儀だよ!
そんなその運転手を非難する自分がいます。
こんなことを考える僕もいます…。
なぜ、モヤッとするんだろう?
この気持ちはなぜ出てくるんだろう?
駐車場内において、他車を気遣うべき
譲り合うべき、思いやりを持つべき。
僕は “べき思考” の虜です。
こうあるべき!普通は…するものだ!こうすべき!
両親や教師から受け取った価値観、または、
自分自身で決めたルールなのかもしれません。
“べき思考” の虜になると苦しくて仕方ありません。
なぜなら、正しいか正しくないかを常に判断しなければならないからです。
他人にそういう目を向けると、自分自身に返ってきます。
自分で自分に縄を巻いて身動きがとれないようにしているようなものです。
イライラしたり、モヤモヤすることがあったら、
僕たちの癒やされていない感情を引き出すきっかけになることもあります。
例えば、先ほどの駐車場での出来事は、僕にこんな感情を引き出してくれます。
人を気遣ったり、思いやりを持って接すること、譲り合うことを幼い頃から、
頑張ってきた。ひょっとしたら、自分のことよりも先にそのことを考え、
そして行動してきたかもしれない…。
そんな自分を認めてくれないと悔しい、悲しい、寂しい!
そんな犠牲になってきたかもしれない自分を、さまざまな出来事が教えてくれます。
・挨拶が出来ない人を見るとイライラする
・ごちそうさまを言わない人を見るとモヤモヤする
→気が乗らない時も挨拶を頑張ってきたんだもの!
・食事の時、テーブルに肘をつく人に、くちゃくちゃとご飯を食べる人に、イライラする
→両親に怒られながら、食事中、肘をつかないように気をつけてきた!
周りの出来事や誰かの仕草や習慣に “こうあるべき!” とイライラしたら、
それは自分自身の何かが反応しているわけで、
それに気づくチャンスなのかもしれません。
幼い頃から、普段から、頑張って、身につけたもの。
頑張ったがゆえに、癒やされていない感情が眠っているかもしれません。
その人が育ってきたストーリーがあり、そのご家族のストーリーもあります。
そのストーリーを含めて自分の周りの世界を愛せると良いなと思います。
そんなことに気づかせてくれるTUTAYAの屋上での出来事でした。
少なくとも、駐車場でのマナーがあり、それを守らない人は無神経…
という正論を掲げて相手を裁くことが、
僕の中にある“べき思考の罠” に気づく機会を奪ってしまうかもしれない…
そんな風に思えます。
モヤモヤ、イライラする出来事、人間関係はありますか?
それはあなたの過去を癒やし、成長する機会になるかもしれません。
感情を味わい、ありのままの自分を大好きになるワークが満載!
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コメント
えっ!ときめきトゥナイトの曲にハマッているの?!(笑´∀`)ノ。
新装版として刊行されるのが楽しみです。買わないけど…。
べき思考は、頑張ってきた自分を労う代わりに、人を裁く癖だなと自分自身思います。
もっと自分が受け継いできた思考や習慣に感謝できると、べき思考も溶けていくような気がします。
べき思考が教えてくれることって多いなと…。
これからも、湧いてきたらじっくりと味わっていきたいです。
いつもありがとう。
私も今ときめきトゥナイトの曲にハマっています(^▽^)/いつも私の感情を代弁して気付かせてくれる潤ちゃんには本当に感謝です。最近ようやく自分自身の身にしみ付いた「べき思考」に異論を唱えられる様になりましたし、それと共に他人に対しての「べき思考」が少しずつ減ってきたかなと思います。思考や感情は書き換えられるのですね。それがとても嬉しく思います。