AQUA MIXTの寛子です。
○○が終われば落ち着くハズ・・・と言いながら日々次々と変化がやってきています
諸々のピークが、1つ終わるか終わらないかでまた次が来るって感じで・・・
人生のバランスを取っていこうと思う、2012年。
私は「子供の頃からやりたいことをやって来た」という自負がありました。
両親はいつも私の主体性を尊重して育ててくれていましたし、自分ではいつも納得して選択していると思っていたのですが・・・。
ふと気付いたのですよね。
テニス、スキーは私の趣味・スポーツの筆頭に来る2つ。
長年、かなりエネルギーを注いだ活動でした。
しかし・・・今はテニスもスキーも、全くやっていないのは何故
私の青春のテニス編・・・
中学・高校時代、硬式テニス部に所属していました。
特に高校では、テニス部は人気が高くとても厳しい部の1つ。
4月に100人以上いた新入部員は、2年後の引退の頃には10数人に。
大会ではレギュラーを務め、もちろん引退する最後まで続けていました。
それにしても、なんであんなに頑張っていたんだろう
しかも兼部は禁止だったのに、自分たちが立ち上げた文化部の代表をこっそりやっていたり。(そっちの方が本当にやりたいことじゃなかったのかしら。)
でも、テニス部引退後は燃え尽きてしまったのかテニスサークルやクラブに入ることもない私。
一方で一緒に引退した他の部員は、体育会系のテニス部に入ったりしていたのに。
私は今では、もう10年近くラケットも触っていない状態。
あれ、別にテニスそのものが好きな訳じゃ無かったんだと気付いたのです。
その動機は、テニス好きだった 「父の期待に応える」ことだった
私が物心ついた時から父は本当にテニスが好きという記憶があり、一緒にテニスが出来るのも嬉しそうでした。
えぇ私ってそんなにファザコンだったの
当時は自分で選んだと思っていた「テニス」が実は、
・私がテニス部で頑張っていれば、父が嬉しそうにテニス用品をディスカウントショップに見に行こうと誘ってくる。
・年に1回の家族のテニス旅行を、父がとても楽しみにしているのでレベルアップしたい。
・市民プールの駐車場(場所代無料)でテニスを一緒に出来れば、父がとても喜ぶ。
(無料という点と、一緒に出来るという点両方が嬉しいようでした)
こんな理由があって
「テニス部に入って、続けた方が父も喜ぶし良いこと」
と無意識に思っていたんだ~と、今頃になって気付くものなのですね。
当時はそれが自分の幸せでもあったわけで、その過去を否定するのではないのです。
実を言うと
「せっかくあそこまで頑張ったんだから、たまにはテニスをやってもいいんじゃないかなぁ」
と思い、でも現在は全くやらなくなったことに少~し罪悪感がありました。
けれども、この事実に気付いてからはスッキリ
テニスより
もっと自分がやりたいことに打ち込んでいいんだと、ふっと気持ちが軽くなりました。
さて・・・この話はスキー編もありまして。
もうひとつのファザコン話(前世の父との関係)なのですが、続くのはくどいかしら?
AQUA MIXTのスピリチュアル・カウンセリングやスッキリ・リーディングで、
あなたの深い意識の中にある動機を知ってみませんか?