いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
関東でも梅雨のはしりか、曇天が続くようです。
洗濯物が乾きづらくなる季節…、
生乾きの衣類を着て体温で乾かす!と気合いを入れる日もあります。
産後の寛子を見ていると、
男女の役割があり、それぞれが役割を自覚し、
その上で歩み寄る大切さを感じています。
母乳をあげたり、お母さんがしてくれる抱っこの安心感を
僕は我が子に与えることはできませんし、
それにたいして劣等感や罪悪感を抱く必要もありません。
(幻の劣等感や罪悪感から、
それを感じないように妻を攻撃する必要もありません。
「子育ては女の仕事!」のような。)
そして、意味の無い自責で、自分の歩みを止める必要もないと感じます。
あなたは、意味のない自責で自分を苦しめることはありますか?
また、それが他責に転じることは…。
今の僕は、
自分にしかできないことを淡々をしている状態です。
力仕事(そう力はないのですが…)、大局を見て行動すること、
寛子の身体ケア、母子をサポートすること、
穏やかであること(それが母子に影響するから)、
AQUA MIXTの企画やセッション・レッスンをすること、
自分のクリエイティブな面を活かして行動すること、
…などなど。
ありがたいことに家事は、実家のお義母さんが手伝ってくれるので、
家事に振りまわされることもあまりなく、ありがたいことです。
その昔、スーパーマーケットでチーフとして
青果売り場を任されて仕事をしていた頃。
お世話になっていた先輩チーフが、
あまりの忙しそうに働いている僕を見て、
「水本~、チーフが自ら売り場に野菜を陳列してどうするんだよ?
ワーカーになるなよ、リーダーになれよ。
おまえが大局を見て動かなかったら、結局すべてがまわらなくなるよ!」
ときつく助言をしてくれました。
ワーカーになるな、リーダーになれ…
チーフなんだから、一番自分が働いてなくてはいけない!と
その時の僕は思っていたんですね。
忙しくしていれば、誰もが
「あのチーフはよく働くね。」と思ってもらえますから…。
パートさんがしてくれる仕事…、
パック詰めや青果物の加工、陳列などは、
僕があえてする必要はないのです。
それなのに、パートさんが忙しくしていると、
その横で今後の売り場計画や売り込みのアイデアを考えている自分が
「何もしていない人」 と見られるのではないかと思い、
勝手に「自分を忙しくする人」になり、
ああ、働いた!と幻の劣等感や罪悪感から、
意味なく「自分に許可を与える」わけです。
今、こうして育児という機会を与えてもらった時、
また、その頃のことを思いだし、
幻の劣等感や罪悪感から逃れるために、
意味の無い行動や、自分や他人を責めていないだろうか?
本当に大切にするものをきちんと大切にできているだとうか?
と自問する日々です。
間違っても、自分が創り出す劣等感や罪悪感の幻に、
心のバランス感覚を失い、自分じゃない誰かになることは避けたいなと思っています。
僕にしかできないことから逃げずに、
自分の歩みを一歩一歩進んでいきたいなとあらためて思う日々なのです。