ベクトル自分向きの恋愛に興じた男

ハッピーライフ恋愛・結婚

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
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AQUA MIXT 潤治です。
今、受付している「潤治の恋愛処方箋☆セキララレッスン【メール編】」では、恋愛に対するいろいろな思いを共有していきます。
そのひとつに「寂しさ」があります。
「ひとり」でいることの寂しさと言えるでしょうか。
恋愛のおかげで自分がひとりであることがあぶり出されることがあります。
「ひとり」であることを受け容れるのはとても苦しいことだったりもします。
「ひとり」でいることはとても不安定であるかのように思えます。
安定を求めて、誰かを求めることもあるかもしれませんね。
その安定が「本当に安定なのか?」と心の奥深いところでは感じていても、
「ひとり」でいることののっぴきならない不安の前に僕たちは無力だったりします。
その昔…、


僕がそののっぴきならない不安を動機
男女関係に安定を求めていた頃、同じことをくり返していました。
いつかあなたは僕から離れていくんでしょう?という思いを抱えながら、
目の前の女性を見ていました。(この時点で安定ではないのですが…)
どこかで相手を信頼していないわけですから、
それが言葉の節々、態度、行動にまでその思いが反映されます。
このあたりはブログでは自粛します…w。
自分は相手を愛さないのに、相手には愛して欲しいという
おこがましい男でした。
その時は愛しているつもりでしたが、それは不安を動機にしていますから、
「ひとりでいたくないから、そばにいて欲しい。」という
ベクトル、自分向き 状態でした。
「ひとり」でいることの不安を真正面から見つめるなんて無理無理!でした。
女性と付き合っていても、何か不安で、
まるで漂流したイカダの上で海の水を飲み続けるような苦しさでした。
塩辛~い、もう一杯!状態です。
この渇きは誰かに出逢えば、癒えるのだと思っていました。
結婚したから、それは変わるというものでもありませんでした。
きちんと相手と向きあうこともせずに、その渇きを癒そうと必死なわけです。
癒す為の源泉は自分の中にあるのに、
外界にそれを探しに出かけ、彷徨い続けました。
「ひとり」でいることの不安を感じないように、
世間の常識や価値観に自分を合わせてみたり、
たとえば、結婚とはこういうものだ、とか。
「ひとり」でいる恐怖を感じないために、
自分を好いてくれる人なら誰でもとなびいてみたり、
お互いにベクトル自分向きで恋愛してみたり、
「ひとり」でいることの怖れを感じないように、今が良ければと享楽的に過ごしたり、
僕が考え得るあらゆる逃避を試しました。
残念ながら、安定は自分の外側にはなく、自分の内側にあるものだと気づいた時には、
離婚をし、本当にのっぴきならない状態でした。
人生最安値期に突入でした…。
※参考記事「人生最安値期、セルフイメージをあげる近道を試みました【後編】」
安定を外に求めると不安定になる、
安定が内側にあるものと思うと自由になる。

信じる力が僕たちを自由にする、とういうことに思い出すのに、
今でも不安定癖が出て、寛子を困らせます。
「じゅんちゃん、ひとりになろうとしないで、目の前の私と小葉を見て!」
たしなめられます。
ひょっとしたら、過去にもその言葉を何度も聞いていたのに、
僕は聴こうとしなかっただけなのかもしれません。
いえ、聴こうとしなかったのでした。
そう振り返ることができ、あらゆる過去に感謝できるのも、
安定は自分の内側にあると感じるサポートを
妻、娘、僕を囲む人たちから受け取っているからかもしれません。
恋愛処方箋☆セキララレッスンは、
あなたの恋愛を応援します。

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