謝罪は心のお掃除、そして、感謝がやってくる

先日、娘をキツく叱りました。
久しぶりに僕の言葉でしくしくと泣く彼女を見ました。

子を思えばこそとは本当なのでしょうか?

娘のためを思えばこそ、心配すればこそ、と僕自身に言い聞かせたいところですが、
その叱った自分にどうにもモヤモヤする自分がいました。

正しいことを言っていると自分自身思いますが、その伝え方や表現の仕方、受け取り方の配慮、その雰囲氣の作り方など、自分の至らなさを感じていたのです。

しかし、その自分の至らなさにスポットをあてることは、怒った手前、恥ずかしいし、みっともないし、自分を正当化しようとする心の動きがありました。(親として…)

この「正当化」というのは、自分を制限するものだと僕自身は思います。

自分は正しい、間違っていない、これはこういうものだ…と自分に言い聞かせれば言い聞かすほど、何か固定化されたものが増えていくように思います。

それを「頑固」と呼ぶのかもしれないと僕自身感じます。

それは表情にも出てくるでしょうし、身体の姿勢などにも影響は出てくるでしょう。

正しさと正しさは衝突するでしょうし、排他的になるかもしれません。
でも、心を固定化せずに、柔軟に、その都度、優しい選択をすれば、何かを攻撃することも、排他的になることもなくなるでしょうか。

正しさと正しさはぶつかるかもしれませんが、優しさと優しさはぶつからないからです。

結局、娘にキツく叱った次の朝、娘に謝りました。

「昨日はお風呂場で怒ってごめんなさい。言い方が強かったし、もっと工夫して言う方が優しかったと思う。本当にごめんなさい。」

正しくても、道理にかなっていても、相手への伝え方は、それ以上に優しいほうがいいと娘とのやりとりでいつも思います。

当然、娘の謝罪は要求しません。

僕が子どもの頃、親に「謝りなさい!」って言われるのが本当に嫌でした。

お互いさまと思っていたし、親の立場から言うのは卑怯と思っていましたから。

きっと言葉ではない「行い」がいつか彼女がそのような場面に出くわした時に、彼女に届くだろうと思います。

そして、謝罪は心のお掃除だと思います。
いつも謝罪をした後は、心が晴れやかで、相手とのわだかまりもとれて、お互い元氣になります。

娘は、僕の謝罪でとても上機嫌になり、いっそう優しくなったように思います。

親としての責任などという大義名分を振りかざして、自分を弁護したいところなのですが、残念ながら、優しい空気を創ることに氣付いた方から謝罪をするほうがいいのでは?と思います。

優しい空気のほうが、相手にも伝わるし、より生産的で、創造的になれるからですね。

そして、お互い「ありがとう」と伝え合うわけです。

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