トイレットペーパの芯を替えない君にハートブレーク…。

ハッピーライフ

こんにちは、潤治です。P4260064.jpg
明日から台湾に行きます。台湾は2度目になります。前回の旅の記録 “奇跡と祝福の連続の旅 IN 台湾”
寛子と旅行となると夫婦喧嘩がつきものでしたが、ここ数年大きな喧嘩を旅行中にしなくなりました。しかしながら、日常では、お互いのペースや価値観が違うために衝突することがしばしばあります。
解放系のワークショップ、満月のリリース で前に僕が吐露したことがあります。
それは…
トイレットペーパーの芯を替えない寛子にイライラするという、小っちゃな器の僕です。
トイレットペーパーの芯を替えないことくらいで、イライラする自分って、
なんて器の小さなヤツなんだろう…と思ってしまいます。
こんなことでイライラする自分を隠しておきたい…
そんなこと気にしないよ、みたいな顔をしておきたい…

そう思いますが、一緒に暮らしていて、育ってきた環境が違うふたりですから、
そういう隠しておきたい自分が相手の仕草や習慣であぶり出されます。


僕の母親はとても口うるさい人でした。
潔癖で、少し神経質なところもあったように思います。
小学生の頃、友人たちが僕の家に遊びに来ると必ず、母は友人たちをお風呂へ連れて行き、
靴下を脱がせて足を洗わせるという儀式を友人たちに強いるのでした…。
“水本君の家に行くと足を洗わせられる”
 
という評判が恥ずかしかったことを覚えています。
そんな母に、ある日、僕は注意をされます。
“潤治、トイレットペーパーが無くなっているのに替えていないでしょ!?”
その時の母の機嫌が悪かったのか、とても強く怒られた記憶があります。
震えながら、母の怒りを感じていました。

トイレットペーパーの芯を替えないと、ひどい目に合う…。
母を怒らせないために、芯だけは替えないと…。

しばらく、家のトイレに入るのが怖くなってしまいました。
朝早く、学校に行って用を足すという期間がありました。
その記憶は無意識の中へ仕舞い込まれ、
大人になると、思い出すことはありませんでした。
寛子と生活をしていて、そういう封印していた記憶が呼び覚まされます。
寛子は地雷除去班です。爆発させて、通り過ぎるという荒技ですが…。
僕がトイレに入って、さぁ紙を…と思うと “カランッ” としています。
“寛子、トイレットペーパーが無くなっているのに替えていないでしょ?”
と母と同じことを寛子に向かってイライラしている自分に気づきます。
こんな小っちゃなことを気にする僕はどうかしている…って思うよね。
でも、その小っちゃな事を子供の頃から、頑張って守ってきたんだ…
頑張って守ってきた僕は何だったんだ…
母親に怒られるから…怖くて守ってきたんだ…

僕たちは、それぞれ別々の家庭で育ってきました。
お互いの家庭の価値観をひょんなことで見させられます。
それが自分の癒やされていない感情を引き出すきっかけになることもあります。
幼い頃から、頑張ってきた自分を見させられるのです。
挨拶が出来ない人を見るとイライラする
ごちそうさまを言わない人を見るとモヤモヤする
食事の時にテーブルに肘をつく人にイライラする
洗面台を汚く使う人に…
くちゃくちゃとご飯を食べる人に…
くしゃみの仕方に…
本を元通りにしないことに…
脱ぎっぱなしの服に…
片付いていない相手の部屋を見ると…
…などなど。

誰かの仕草や習慣にイライラしたら、
それは自分自身の何かが反応しているわけで、
それに気づくチャンスなのかもしれません。
幼い頃に頑張って、身につけたものかもしれません。
それが悪いことなのではなく、頑張ったがゆえに、
癒やされていない感情が眠っているかもしれないということです。
人間関係において、関係が深くなればなるほど、
そういう何気ないお互いの価値観が垣間見られます。
それはその人が育ってきたストーリーであり、その家族のストーリーでもあります。
そのストーリーを含めて相手を愛せると良いなと思います。

なので、トイレットペーパーにまつわるストーリーを共有する機会があって、
頑張って守ってきた幼い頃の僕は救われたのでした。
少なくとも、トイレットペーパーを替えない人は無神経…
という正論を掲げて相手を裁くことは僕たちの可能性を
止めてしまうことになるのでした。
モヤモヤ、イライラする相手の癖、習慣はありますか?
それはあなたの過去を癒やし、成長する機会になるかもしれません。

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