我慢は誰のためにするものか

おはようございます、潤治です晴れSF112.jpg
夜風に少し秋の気配を感じながら、昨夜は眠りにつきました。
いつからが秋…ということではなく、少しずつ月が満ち、満月になるように季節も少しずつ変化していくのだと感じます。僕たちも少しずつ…、振り返ったら成長していたという毎日を過ごしたいものです。
パートナーの寛子とライフワークを営んでいますが、お互いの意見がぶつかり合うことがあります。
そんな時に、僕の思考パターンの癖なのでしょうが、“我慢” をすることがあり、
しかしながら、しばらくすると、我慢しきれずに喧嘩になるというパターンがあります。
いったいその我慢は “何のために?誰のために?” していたのか?と自問することになります。
“我慢とは、誰のためにするものなのでしょうか?”


相手のために我慢しているという大義名分が、
実は、その相手に責任転嫁をしている自分に気づくことがあります。
我慢している のではなく、我慢させられている という状態です。
受け身で我慢しているのですから、我慢しきれなくなれば、相手のせいになります。
ひょっとしたら、それは成長する機会を逃しているのかもしれません。
我慢や忍耐を表すギリシア語に、「ヒュポモネー」 という言葉があります。
この言葉は、耐えてやり過ごす…という意味よりも、もっと希望のある言葉です。
心に強い希望を持ち、苦難に立ち向かい、望みを叶えるという感じでしょうか。
希望へのプロセスのひとつに忍耐がある…、
「ヒュポモネー」 はそんな強い希望の言葉です。
我慢は、誰のためにするものかで、行動や気持ちは変わってくると思います。
主体的にする我慢は、ストレスではなく、光が向こうに見えるトンネルを
強い希望を持って、1歩1歩、歩いて行くようなものだと思います。

それが、「ヒュポモネー」という言葉の指すところだと思います。
我慢は、自分が選択したか、しないかで大きく意味が変わってくると思います。
相手に対して、自分自身が主体的になるというのが、成長する鍵かもしれません。
主体的に我慢することを選択するなら、「ヒュポモネー“忍耐”」ですが、
“させられている我慢” で、知らず知らずに責任転嫁をしてしまう僕がいます。
忍耐とは決して苦しいものではなく、
祝福を受け取る前奏曲のようなもの
だと思います。
少しの勇気と忍耐があれば、人生の祝福により多く気づけるのかもしれません。
いつもの癖で我慢しそうになった時は、誰のために?何のために? と自問し、
主体的に行動し、人生の祝福を受け取りたいと思います。
心の筋トレです…。

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