「恋愛講座」レポ(2)恋愛は人生をシンプルにする機会

恋愛・結婚潤治の徒然草
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
ココリラ連載 第44回 潤治 画像1.jpg
AQUA MIXT 潤治です。
先日、ライトワークス五反田本店での企画
「男性の気持ちを捉える『恋愛講座』」に講師として参加させていただきました。
普段は自宅サロンで仕事をしているので、
今回は珍しく、外部のイベントに講師として参加することになりました。

おかげで新しい発見もあり、今後の企画などのインスピレーションも受け取れる機会になりました。

恋愛相談を受けることは年々多くなっています。
それは僕が恋愛に対する情熱がとまらないからかもしれません。

恋愛をするからこそ、普段は隠しているような感情を味わうことができると思います。
それは相手と深く繋がりたいという思いや自分を受け入れてほしい、

相手の全てを知りたいなどの気持ちでしょうか。

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成田離婚や産後クライシスなどという現象があるのは、
相手の「相手が見せたくないと思っている部分」

お互いがしっかりと見る経験をするからと感じます。

以前、寛子とイタリアへ旅行に行った時のこと…。

飛行機で十数時間、慣れない言語、天然炭酸水、
左ハンドルのレンタカー(マニュアル車)、狭い道路、車線を気にしない車たち
冷たいあしらいに見えたイタリアの人たち、
寛子の「今夜、どこに泊まろうか?」の出たとこ勝負感
弱い水圧のシャワー、エレベーターの無い7階の部屋、
海外で水を得た魚のような寛子、
そう、僕は精神的に追い込まれていたのでした。

堪らず、泣きながら、「日本に帰りたい!」と僕がキレたら、
「今から、帰れよ!荷物持って空港へ行けよ!」
と逆に寛子にすごまれるという経験をしました。

男は泣いた数だけ強くなる…と思いたいけどね。

(ニュアンスが違うような)
情けないにもほどがあるエピソードとしてローマの人たちの語り草となっているとか(笑)。
それほど、恋愛をすると、いつもは無意識か意識的か自覚しないほど、
「相手に見せたい自分」を相手に見せようとしているのかもしれません。
昔は、意識的にそうしていました。
夜、主に接客を生業とするお姉ちゃんの前や、会社の新入女子社員の前など特に。
「ありのままの自分」なんて、僕の場合…、
本当に知っているのはパートナーの寛子と娘の小葉くらいです。

多かれ少なかれ、他の皆さんには「格好つけしい」の僕です。

(気を付けて!)

…話は戻りますが、

本当の自分は置き去りにして、

相手に寄り添うことは難しいと僕自身は思います。

世の中には、たくさんの恋愛に関するアドバイス、他人の価値観があります。

相手に好かれるためには…

焦らしたほうが良いとか、
好きという気持ちを小出しにしたほうが良いとか、
相手の気持ちを汲み取るような聴く姿勢が大切だとか、

いろいろな指南があるように思います。

恋愛をゲームのように考えたり、
自分の気持ちを抑えながら接したり、
相手の価値観に迎合したりしたら、

その恋愛はあなたのこれからの人生を

幸せに導くものだろうかとも思います。

ソウルメイトに出逢うことは、ある意味…、
本当の自分の気持ちや価値観に出逢うこと

でもあると僕自身は思います。

本当の自分の気持ちに出合う時、
ソウルメイトとも出逢うということですね。

ですから、結婚やパートナーシップのスタートライン、

プロローグに過ぎない出逢う過程を自分ではない自分で踏むとしたら、
それはボタンを掛け違えたまま人生を歩むことになりかねないと僕は感じています。

「相手にこんなことを言ったら、嫌われてしまうかもしれない。」

と自分を抑えてしまう人がいますが、

「あなたの本音、弱みを受け入れないその相手なんてこっちから願い下げよ!」

「あなたの本音、弱みをさらして真っ向からぶつかり合うのよ!
拳(こぶし)で語らうのよ!」
「言い方もあるかもしれないけど、あなたがその気持ちを言わざるをえない
その空気を察することができない相手と今後、どうするの?」

と僕は思います。

「最初の動機が違えば、

人生はとても複雑なものになる。」

と僕は思っています。

後で積もり積もった「嘘」の支払いをするよりは、
最初に怖くて不安だけど、「真実」を自分自身が受け入れたほうが
人生はシンプルになると思います。

ええ格好しいの僕がどれだけ人生を複雑にしてきたか、
そして、しようとする癖があるか…(笑)。

恋愛は「人生をシンプルにする機会」を与えてくれます。

後悔という後払いをとるか、
勇気という先払いをとるか、

人生はいつも僕たちの選択に寛容です。

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