自分らしく生きるのはわがままかしら(1)

スターシード子育て
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
大事MANブラザーズバンドの「それが大事」を口ずさむことがあります。
しかし、歌ったところで僕が大事なことを本当に大切にできるかどうかは別問題です。
歌っている時はテンションが高いですが、
「本当に、おまえ、大事なこと分かっているの?」という自分の声が聞こえてきて凹みます。
忙しい人です。
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さて、我が家に「Access Consciousness(R)の世界観がやってきて
以下のような問いが発生しました。
「あなたにとってその選択は軽い?重い?」すべての写真-2246
というものです。
「それは気がのること?のらないこと?」
「それは好きなこと?嫌いなこと?」
「それは自分らしいこと?らしくないこと?」
「それは上がる?下がる?」
「それはあげぽよ?さげぽよ?」
などなど、いろいろな言い回しや感じ方、があると思います。
身体はとても正直ですから、身体の感覚に委ねることがベストだと僕自身思います。
義務感でやれば、身体は緊張するし、ストレスのはけ口を求めるでしょう。
使命感でやれば、それが暑苦しいものであれば周りの人が疲弊するでしょう。
罪悪感でやれば、一時の達成感はありますが、代償行為に移り変わっていくでしょう。
身体はそのような思考に惑わされずに「本当の思い」を具現化しています。
胃が痛くなる、首や肩が凝る、頭痛がする、
お腹ピーになる、背中が重い、頭に靄がかかる…
などなど、思考が勇み足で、身体は牛歩ということも多々あります。

身体の声を聴くということはとても大切です。
立ち止まってその声を聴くことすら、非効率的という価値観があるとしたら、
心を亡くし(忙しい)、心が荒れて(慌ただしい)いるのかもしれません。
さて、我が家にやって来た
「あなたにとってその選択は軽い?重い?」
という問いが思わぬ気づきをもたらしました。
AccessConsciousness(R)の講座を寛子が受け、
自分らしく生きること、楽しむこと、自由になることをいっそう曇りなく選択し始めました。
それまで、子育ての渦中、寛子は苦しんでいました。
産後2年の間に、私は「母親」という役割にどんどん閉じ込められていきました。
良い母親、理想の母親になろうと、努めていました。
自分の完璧主義に、苦しむことも多々ありました。
そして途方もない疲労感、無力感。(ブログ記事より)
その疲労感、無力感は当然、言葉ではないもので
娘の小葉にも伝わり、イヤイヤ絶頂期となりました。
しかし、彼女が自分らしく生きようと、より自分にとって「軽い選択」をするようになりました。
妻として、母としての役割を演じるよりも、素直な自分でいようと決めたわけです。
すると、イヤイヤ期はおさまり、小葉はとても穏やかにハイと返事をするようになりました。
女性が自分らしく生きようとする時、それを阻むもののひとつに、
パートナーの存在があると僕自身を省みて思います。
「南、あんまり遠くに行くなよ。」
漫画「タッチ」の上杉達也状態です。
※新体操を始めてどんどん活躍していく南の背中を見ての一言です。
産後などは夫が赤ちゃんがえり(AG)を起こして
その妨害は強いものになるかもしれません。
我が家では、産後クライシスにもつながりました。
→僕の赤ちゃんがえりの擁護記事はこちら…
自分らしく生きること、魂が望む通りに生きること、
魂が喜ぶ選択をすること、自らを解放し生きること、
それらは周りの人たちを自由にすることにもつながります。
…と「自分らしく生きることが世界への最大の貢献」という感覚があります。
天使はそう教えてくれます。
自分らしく生きることに対して罪悪感を持つ人もいます。
「自分らしく生きることはわがままと違いますか?」と疑問を持たれる人もいます。
「あなたにとってその選択は軽い?重い?」という問いを寛子がするたびに、
「寛子が自分にとって軽い選択をすれば、誰かがその重さを請け負うんだよ!」と
御門違いなことを言い出す夫もいます。
そして、「それは潤治だよ!」と言い出す始末でした。
「自分らしく生きること」に対する後ろめたさや罪悪感の正体は何でしょうか?
(続く)
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