彼はポラリティ中毒「被害者意識は人生を悲劇にする効果がある」

アクセス・コンシャスネスTM

人は人生に「物語」を求める。
それは生きているという実感を持つためかもしれない。

その感情を激しく揺さぶるような「物語」があることで人は奮い立ち、怖れを克服することもある。
その反面、その「物語」は人生の大きな障害となって立ちはだかり、
人を鍵のかかっていない牢獄に拘禁することもある。

「物語」は二極性を取り込み、さらに躍動感のあるものとなる。
二極性とは、ポラリティなどと訳される。

「挫折・成功」「希望・絶望」「歓喜・悲痛」「優勢・劣等」「生・死」
「躁状態・鬱状態」「賛成・反対」「順風・逆境」「幸福・不幸」…。

その単語を目にしただけで、心が沸き立つこともあるかもしれない。
または、身体がこわばるような氣持ちになるかもしれない。

「物語」は「トラウマ」「ドラマ」と呼ばれることもある。
または、「脚本」「大義名分」「信念」「観念」などとも名を変えることもある。

これは、二極性に陥りがちな男のある日常を描いたものである。

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彼が、レンタルDVDを返却したときのこと。
その頃、彼は心身ともに疲れていたこともあり、
ちょっとしたことにも過敏に反応してしまう日々でした。

そういう時は、制限された思考や視野になりやすく、
二極性の罠に自らを誘う傾向があります。

その日、被害者意識が彼を襲い
他人の言葉が「オレを責めている」と取るようになっていました。

ポラリティ中毒は、独り芝居です。

マッチポンプ状態とも言えます。
自分でマッチで火をつけておきながら、
ポンプで水をかけて火を消すという、
人生にその時間は必要?と疑問を感じるものです。

人生をドラマチックに生きるための、あまり上手な方法ではありませんが、
彼自身は、生きがいすら感じています。

「オレ、やってやるぜ!オレがやらなくて誰がやるんだ!
でも、ダメだ、出来ない!無理だ!諦めるしかない!
いやいや、逆境こそ、オレの真価が発揮される時だ!」

といった自分を鼓舞するような感じでしょうか。

彼はカウンターの店員に延滞したDVDを返却しようとしました。
数百円の支払いを覚悟していたら、

「延滞料金は3,260円になります。」

と店員の彼女は言い放ちました。

彼の被害者意識センサーは、それをゆがめて受け取りました。

「やっちゃいましたね!!?お客さん…、延滞!
良いカモなんですよ、お客さんのような旧作を借りて、延滞でガッツリと獲られるっての。
さぞ、悔しいでしょうね!でも、お客さんが悪いんですよ!!?分かっています?
責任転嫁とかクレームとか、止めて下さいね。みっともないだけですから。

はい、3,260円になります!」と聞こえたわけです。

彼はそれを聞いて、「何ィィィィ!」と思うのでした。

「そりゃぁ、延滞したよ!でもさぁ、言い方ってあると思うけど?」
「申し訳ございません!決まりで延滞料をもらうことになっているんですよ、とか言えないわけ?」

と無駄なやりとりを頭の中でして、疲れてしまうわけです。

「オレをそんなに責め立てたいのか?おまえはオレの敵か?」
「DVDは延滞したさ、でも、そんなにオレが悪いのか?」

誤作動している彼の心は視野が狭いわけです。

「2度と借りねぇかんな!DVDなんて!」と心に誓い、
DVDレンタル屋を立ち去るのでした。

そんなことができたら、スッキリするだろうなぁ、
いやいや、それは人間失格でしょう?

と、想像してはほくそ笑むのでした。

しばらくDVDを借りずにいて、楽しむを封印する彼でした。

彼はただただ、被害者意識に囚われ、
自分を本当に娯楽から遠ざけ、囚われの身として生きるのでした。

彼の被害者意識センサーが常に世の中に対して「迎撃態勢」をとりまくり、
四面楚歌を勝手に創りだしてしまうのです。

他のルートは無かったのか?と彼はふと思うのですが、
自分の正当性を主張するために、反省という姿勢は取らずにいました。

この彼は存在した。
そして、孤立無援の世界から、
協同し、応援される世界に移り住んでいる。

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