天使とつながるために必要なこと~無になる

宇宙や天使とつながる引き寄せ・創造
天使とつながる方法を教えるエンジェル・セラピスト(R)

AQUA MIXTの寛子です。

天使と繋がる方法を、生涯の仕事・ライフワークの一つとしてお伝えし続けています。

「天使とつながるために必要なこと~素直さ」の続きになります。

  1. 無~エゴのない状態
  2. 素直~素で直に天使と繋がる
  3. 愛と遊び~楽しむことで愛や天使のサポートを引き寄せる

今回は「無」について、語ってみましょう。

人として生まれてきたからには、エゴはつきものです。
エゴは決して悪者ではなく、もしかしたらあなたを守ろうとする良心の声かもしれません。
この物質界だからこその、学びの一つです。

スピリチュアルな学びの過程にいる人たちが、自分のエゴに苦しめられるという状況をよく見てきました。
「こんなこと、思ってはいけない」
「エゴを無くさなければ・・・」

天使たちは言います。
「聖人になる必要は、ないのですよ!」

そう、私たちはエゴがある状態から、何を学ぶかが大切なのです。
無くそうと闘うことほど、無益な苦しいものはありません。

エゴは無くそうとするものではなく、共にいること、というのが、
私の長年の学びで得た扱い方法でしょうか。

自分のエゴの産物である怖れ・不安・怒り・執着・・・
などと共にいることで、それらの感情は自分を振り回さなくなります。
そして、天使やハイヤーセルフからのメッセージを素直に受け取れるようになります。
(あるいは、エゴと区別がつきやすくなります)

「無」とは何も無い状態というよりも、ある境地を指すだけなのではと思いますね。

自分のエゴもひっくりめて丸ごと自分を受け入れた状態が、
「無我の境地」なのかもしれませんね。

そのためには、自分の中にある怖れを認めること、エゴを認める勇気が必要になります。

その時に有効なのが、天使とのつながりから起こる癒しを手法化した、
「エンジェルヒーリング」ではないでしょうか。

エンジェルヒーリングの手法については、
エンジェルワーカー「魂の羅針盤」各コースで実践していきます。

また、ドリーン・バーチューのオンラインコース
「エンジェルヒーリング」の推薦コメントも書かせていただいています。

「無」の状態になるための「クリアリング」について、クリアリングの手法を学んだらそれで終わりではありません。
それは、私たちが毎日入浴・シャンプーするのと同じ感覚です。

毎日、あなたのオーラフィールドは傷ついたり、淀んだり、自分のエゴや他者のエゴ、電磁波・環境汚染などに影響を受けます。

ですから、オーラやチャクラを良い状態でバランスを保つために、日々クリアリングをする必要があるのですね。

私や潤治はかつて、憑依体質でとても苦労しました。

世の中には「除霊」という手法が一般的に知られていますが、一度除霊をすればそれで終わりではありません。

憑依されやすい心や健康状態というものがあります。
それを改善しない限り、除霊してもまた憑依され・・・
繰り返しになります。

憑依や、負のエネルギーの影響を受けにくい状態を維持すること。
それは、毎日の洗顔やシャンプーと同じレベルなのです。

日本古来からの塩の浄化をしたり、瞑想をしたり、大天使ミカエルによるエンジェルヒーリングをしたり、手法はさまざまです。
そしてそれは、これをやったら終わり、ということはないのです。

日々のクリアリング、習慣にすることで、徐々に波動が上がっていき、
自分が引き寄せるものの質も変わります。

天使とのつながりも、より強くなっていき、確信が高まります。

日常レベルで、スピリチュアルヒーリングやクリアリングを実践出来るようにしていくのが、
私たち夫婦の長年の経験を結晶化した「魂の羅針盤」シリーズです。

ところで、「無」=エゴの無い状態で天使や高次元とつながることは、天界にいるときは当たり前の状態です。

私たちは、この地球に生まれて「エゴ」がある状態を体験します。
その理由は、天界では出来ない「魂の成長」をするためです。
人によっては、この世は「修行」「苦行」と捉えているかもしれません。

しかし、こう考えてみてはどうでしょうか?

スポーツの世界と言えば、ルールや制約がたくさんあります。
サッカーならば、手を使ったら反則。
テニスならば、ラケットを使わなければならない。
バレーボールならば・・・?バスケットならば・・・?

日常生活と照らし合わせると、とても不自由な縛りがたくさんありますよね。
しかし、この不自由な世界に打ち込む人はたくさんいます。

私も、小学生の時から高校までテニスをしていました。
(しかしあまのじゃくなので、みんながサークルでテニスを始める大学時代はすっかりやらなくなってしまう)

社会人になると、基礎スキーのクラブに打ち込む。
時々、自転車の耐久レースに出る。

あらま。
私って意外と体育会系。

しかも所属しているアラフォーアイドルユニットも、ノリは体育会系です。
未経験だった歌やダンス、ユニットのフォーメーションなど日々練習し、ステージに立つ。
私にとっては、学生時代の部活のようでした。
いや、ある意味部活より厳しかった・・・

どうしてこんなに打ち込んでいたかというと、やはり

  • いくつになっても自分の成長を実感できる
  • 極限の状態を共にして、仲間が出来る
  • 応援してくれる人がいる

共通するのはこの点でしょうか。

そして、これはスポーツの世界だけではなく・・・この地球上に生まれた誰もが、天界では当たり前だったことが出来ない制限された環境にいる、ということに意味があるのです。

天界では、全ての存在(魂)が一つであり境界線はありませんでした。
ワンネスが当たり前。
ですから、意思疎通に言葉も要らないし、そこには愛しか存在しません。

それが人間界に生まれてくると・・・

  • 個別の「肉体」という乗り物にのっているので、他者とのつながりを感じにくい
  • 言葉を使わないと意思疎通出来ないことが多い。しかも、いろんな言語が存在
  • 愛に対してエゴ(怖れ)も必ず存在する
  • 寿命がある

などなど、様々なルール(制約)が設けられます。

スポーツに例えるなら、この世に生まれてくると試合開始なのです。
サッカーならば、試合が開始したら手を使えない。
同じく、私たちも天界で当たり前だったことが出来なくなるのです。

限られた時間の中で、得点を上げる。
それは、寿命の中で魂を成長させ波動を上げていくこと徳を積むこととなります。

ですから、このルールに学びのエッセンスは凝縮されているのですね。

今回のテーマ「無」の話に戻りますが、エゴを無くすことが「無」ではないということがおわかりでしょうか。
「エゴ」があってこその学びがあるわけですから、それを無くすことは不可能であり、出来ないことをしようとして辛いことになるのです。

エゴを受け入れて、怖れと愛のバランスをとり続けること、ありのままの状態を受け入れること・・・

「受け入れる」ということが、「無~エゴの無い状態」に重要だと常日頃感じています。

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