いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
このたび、限定数で受付させていただいた、
「インディゴ・クリスタル・レインボーチルドレンリーディング」。
たくさんの応募をいただきました。
メールレター読者限定で追加枠も用意させていただきました。
追加枠にも応募をたくさんいただきました。
残念ながら、次回の募集を待たれる方も少なからずいらっしゃて申し訳なく思います。
今回のリーディングをさせていただくにあたり、多くの学びがありました。
目の前にやって来てくれる人は、神さまの使い…。
天使のメッセージをお伝えしながら、それは同時に僕へのメッセージでもあります。
我が家に新しい家族がやって来て、僕は父親という役割が増えました。
父親として何ができるか?ということを考えるようになり、
母親である寛子のサポートしていこうと思うようにもなりました。
女性が母親になっていく姿は、とても眩しく、神々しいものした。
子供と向き合い、自分自身と否が応でも向きあうことになる寛子の姿に
僕は大きなプレッシャーを感じていました。
父親になれるだろうか?という不安でいっぱいだったわけです。
寛子は日に日に成長し、輝きを増すばかり、それに引き替え…と自分を責め、
自分を責めるわりには、その痛みに耐えられず、寛子にぶつける始末。
アホです…。
父親になれるだろうか?という問いの向こう側にあるものが、
本当に怖れているものだと感じることができました。
それは…、
僕は本当に自分の望む自分でいられるだろうか?
自分はどう生きたいのか?どう生きているのか?
という人生の本質に対する問いを、
父親になれるだろうか?という問いにすり替えてしまっていたのでした。
問題はとてもシンプルで、
子育てという表面的な問題に惑わされていただけでした。
我が家に娘、小葉がやってきて、
いっそう、僕はどう生きていきたいのか?と
自分の自由意志が試される日々を生きることになりました。
新しい家族は、僕に養われること、してもらうことを望んで生まれてきたわけではなく、
僕にこう言いたいのだと感じます。
「パパがどう生きたいかをサポートしに来たんだよ。
それを知ってもらうためにいろいろな方法で
パパにメッセージを送るからね。」
いろいろな方法…、
それはまさしく、自分が自分の両親にしてきたこともあてはまります。
どうして僕を生んだんだ!と糾弾したことも、
あなたたちは好きに生きて下さいと頼んだことも、
僕はあなたたちの世話にならずに生きていきますと吹いたことも、
心配かけて悩ませたことも、
だらしない交友関係で親に復讐したことも、
バツイチになってやっぱりあなたたちの子供だと父を責めたことも、
彼らに、「あなたたちにどう生きるのか?」という問いをもたらしていたのかもしれません。
それを今度は父親として、メッセージをもらうことになりました。
「子育て」という言葉は、ひょっとしたら、
「自分たちがどう生きるのか?どう生きていくのか?」と
見る機会を巧妙に見えなくする言葉かもしれません。
僕が台所に立ち、ふと振り返ると…、
じっと笑顔で見つめている娘に気づくとそんなことを思います。