ママ友と日常を楽しむ日々が心地よく感じる今日この頃。
自分がカラオケに行き、
在りし日、
練習した成果を!(自己承認はできていない)
裸になったオレの姿を!(偽りの自己開示)
歌っている時の表情を。(ワイルドだろう?)
歌に隠された僕の思いを。(知らんがな)
渾身のビブラートの響きを。(響いていたか不明)
―世界の片隅で、オレ、今ここにいます!
束の間の飲み仲間たちとの一体感が漠然とした僕の不安や痛みを忘れさせ
モルヒネカラオケです。
しかしながら、あんなに夢中になっていたカラオケなのに、
当時はそのような心のゆとりもなかったし、
小葉が生まれてきて、新しい選択の日々が始まりました。
彼女のおかげで信念が制限になっていることにも氣づかされます。
無駄だと思っていた「遊び」
それほど、仕事に夢中だったし、
綺麗にした部屋が他人との共同生活のためにどんどん散らかってい
そぎ落として綺麗になった部屋なのに!
それを心地良く思えるようになっています。
結局、
良い意味でどんどん恥をかくし、どんどんなめられます。
しかし、それも結局は自分自身の「在り方」
隠せば隠すほど、要らない隠蔽工作が必要になります。
そのための人生をおくる人もいるかもしれません。
「ありのまま」なんてカッコイイ言葉ではなく、
ああ、偽りの自己開示テロリストだった頃が懐かしい…。
その姿を正直に表現するとき、
AQUAMIXT の「ライフパーパス個人レッスン」や「魂の羅針盤コース」、
何より、土台にそのような僕たちの心があります。
隠し続ける人生か、自分を開いて選択と創造の人生か?
でも、どちらもリスクがあります。
そのあたりはまたどこかで。