インディゴチルドレンの憂鬱「大人になって何が悪ーい!」

ハッピーライフ感想・体験・レポ潤治の徒然草
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
波間が揺れる
AQUA MIXT 潤治です。

ブログ記事「インディゴチルドレンの憂鬱シリーズ」に対する反響をありがたく思います。
2014年はインディゴチルドレンにとって人生の大きなターニングポイントになると感じています。

多くの方から、そのようなご感想や実際の日常の出来事をメールでいただきます。

そして、インディゴチルドレンであることを受け容れ、その資質を活かし始めた人たちが、大きく変化していく姿を今年は拝見いたしました。

結婚や出産、転職、独立起業、ご両親との和解、介護、故郷へのUターン、海外への移住…

世の中の価値観では計れない、自分にとっての大切にするべきもの。
これに気づくために、わざわざ失う経験もしなければいけないのかもしれないと自分自身を振り返ると思います。
小学生の頃、心理学の本に出合いました。
当時は女の子に好かれるためには?とか、
人の心が読める心理学といったミーハーなものでしたが、

人の心がどのように人に作用するのか、
または環境によって人の心がどう変化するのかにとても興味を持ちました。
両親の不和のおかげで当時、人が悩みを抱えた時にどうアプローチすればいいのか?
という疑問を抱き続けていましたから、心理学は僕の一筋の光明でした。
人の心を理解することができれば、この暗闇から抜け出せる…という感覚でしょうか。
そうはいっても小学生ですから、駄菓子屋で菓子を買い、木に登って食し、
森に投棄されているエロ本を見つけて仲間とはしゃぎ、クラスの女子の家を訪問して緊張し、
有り余るパワーを自転車で隣町に行くことで解消し、爆睡するということが日常でした。
心理学を学びたいという思いは、次第に形になり始め、
心理カウンセラーになりたいという具体的な目標になりました。
残念ながら、高校生だった頃の僕が選択したのは、
自分の夢を世間が用意しているひとつの職業にあてはめるという作業でした。
小学生の頃にワクワクしていた「どんな人になろう!」という思いは失せ、
そのあてはめる作業、「何になろう」という選ぶ作業になっていました。
本当に大切なのは、「どんな○○になろう!」という
自分にしか成し遂げられない思いだと今では感じます。
やりたいことやなりたいことがたくさんあったのにもかかわらず、
当時はまるでメニューから何かを選び出さなければいけないようなプレッシャーがありました。
学校が提案するメニューに乗っかっていたわけですね。
それを疑問に思いながら、周りがそうしているからという理由で、
それを選び、僕の夢だなんて言い出してしまいました。
迷走の始まりです。
大学で学び出す心理学はとても退屈なものでした。
でも、心理カウンセラーが夢だからといって学んでいました。
卒業を前にするとキャンパスから追い出されるので、慌てました。
退屈の中にじゃぶじゃぶと浸かり、モラトリアム人間と成り下がった僕でしたから、
就職活動というイベントは寝耳に水のような気持ちでした。(バカですね…w)
冷静な判断も、洞察力も衰えていました。
ましてや自分のハイヤーセルフに問うなんてことは都市伝説でした。
心理学を共に学んだ同朋は次々と心理学とは全く関係の無い分野に内定をしていきました。
ようやく、その頃になって大学に入った意味を模索し始めました。(遅い…)
気づいた時には大きなうねりが僕を取り巻いていました。
(自分で仕掛けておきながら…)
内定をもらい、一気に大人びたふりをした学友たちの言葉は、
「心理学じゃ、食っていけないよ。」というものでした。
「そうなのかぁ…」と僕は周りの言うことに責任転嫁をして、
心理学とは全く関係のない地元の中堅スーパーマーケットに内定をもらいます。
いつの間にか、同朋と一緒に
「心理学じゃ、食っていけないよな。」とお酒の席で言い合うのでした。
きっと天使のメッセージは、
「あなたのやりたいことは他の誰とも違います。
誰かと同じように生きようとすることは苦しみに満ちています。
あなたが望むものを手にしようとする人生は、あなたにしかできません。
そういう生き方はあなたに力を与えてくれるでしょう。」
というものだったかもしれません。
魂の声に僕は鈍感でした。
そして、当時、僕が言い訳にしていた言葉は、
「人と違うことをするのは、それなりにしんどいことだ。
誰のせいにもできないし、自分ですべての責任を背負わなければいけない。
大人になることは、何かを諦めることなんだ。」
大人になって何が悪ーい!と心は叫び、魂の炎は萎えていきました。
(次回、インディゴチルドレンの憂鬱「失ってみて始めて分かる」に続く)
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