パートナーシップのために…(8)「○○している自分に気づく。」

理想のパートナー・運命の人

こんばんは、潤治ですひらめき
「パートナーシップのために…」も8回を数えます…。
よく書いた…自分にありがとうを言っています。 言わせてもらってイイですか…。
今回はパートナーのために…という思考の裏に何があるのかを考える瞬間があることに
気づいた男の物語です(大袈裟…)。
※若干のフィクションを含みますので、ご了承くださいッ。
(パートナーからの異議申し立てがありました…揺れるハート
では、お付き合いくださいませ。

今夜はカレーを作ろうと思ったとします。

さぁ、買い物に出かけよう。 結構、強い雨が降っているけど、カレーの材料を
作るためだもん。

雨の中、すこし服も濡れてしまい、靴も濡れてしまいました。ようやくスーパー
にたどり着きました。 ふぅ~。買い物、買い物。

そんな時にパートナーからメールが入ります。
<今夜は夕食要りません。会社の人たちと飲んできます(≧∀≦)/>

買い物カゴには、今夜作るはずのカレーの材料が入っています。
とりあえず、カレーを今夜は作ることにします。 カレーを作るのは好きなのに
何か、引っかかる…。何かモヤモヤする。

カレーを作り始めます。
材料を切り分けている時に、軽く指を切りますッ。「痛いッ!」
その痛みを共有する人もいません。 ひとりで救急箱から絆創膏を取り出し、
傷の手当てをし、また台所に立ちます。

ようやく作り終わり、なんだかモヤモヤしながら食事にします。
カレーを頬張ろうとして、スプーンからカレーがこぼれます…。
洗い立てのジーンズが洗濯カゴ行きです。

モヤモヤしたまま、パートナーの帰りを待ちます。
テレビを観ながら、集中もせずにパートナーの帰りを待ちます。
24時を過ぎる頃、待ちくたびれた頃にようやくパートナーが帰ってきます。

「ただいまぁ~、今日は美味しいものを沢山食べれて上機嫌だよッ。」
この後の展開ですが…。
パートナーとの関係を良いものにしようと努力していた頃は、

「おかえり、遅かったね。」とできるだけ感情的にならないように出迎え、
モヤモヤを抱えながらも、床に着くというパターン。この場合、相手も何か
の違和感を感じる。

それか…。

「ただいまじゃないよ!今何時だと思っているの?折角カレーも作ったのに
今頃帰ってきて何様なんだよぉ!」
と自分の寂しさ、不安を相手にぶつけるパターン。

感情面を相手にぶつけて強迫し、コントロールをしている自分の感情パターン
にある時、気づきました…。

感情面でパートナーに依存している自分です。

自分の感情は自分で選択できる…という言葉も頭では解っていましたが、
パートナーシップのおかげで身体で理解、心で理解できるようになりました。

そもそも、なぜカレーが作りたかったんだろう?
カレーを作ってパートナーを喜ばせたいと思っていた最初の動機を思い出します。

カレーを作るという“役割”が大切だったわけではなく…、相手を喜ばせたいと
いう“真実”が大切だったことに気づきます。

相手が帰ってきた時に

「おかえり、美味しいものを沢山食べれて良かったねッ!どんな出会いが
今日はあったの?あとでお話を聞かせてね。」

この言葉がでる為に、今は何をしているかというと、自分が好きなことしか
しません。

雨が降っていたという時点でカレーの材料は買いに行きません。
面倒なことはしません。 

本当に自分がしたいからという理由なら作業をしている時点で幸せだから、
パートナーが何をしていようと満足なんです。そういう気持ちでカレーを
作っているかをチェックしています。

パートナーのためにという理由で、その時の自分の感情と向き合わないで
いるという選択はしません。 “役割”という逃避をせずに…。

パートナーのためにしていることといえば、自分がしたいことをしたいように
することです。
自分が“役割”を演じないでいるとパートナーが解放されます。

今はパートナーシップのために努力ということはあまりしません。
するとしたら、自分が余計に羽織っている役割や感情を脱ぎ捨ているだけです。

ここでメッセージが届きます。

“あなたはアクセルとブレーキを一緒に力いっぱい踏み込んでいます。それが
あなたの努力の正体です。ブレーキを外すことを怖れないでください。それが
あなただけを解放することにとどまらないということに気づいてください。”

人に振りまわされることが多い僕は、いつも自問自答します。

「それが本当にやりたいことだろうか。」
「誰からも承認されなくても、それをやりたいだろうか。」

ハートの声が「YES」なら、その作業をします。

“好きなようにしていいと自分に許可するとパートナーシップにいろんなもの
が流れ出す”といつもパートナーに教えられます。

今回は『依存している自分に気づく』でした。
次回はこの続きのような流れになります。

コメント

  1. 潤治 より:

    コメントありがとうございます、Kさま。
    依存というものが僕の癒されていなかった昔の自分に気づかせてくれました。
    よく「インナーチャイルド」と言いますが、感覚的に「ロストチャイルド」という感じです。
    置いてきぼりにしていた自分の感情を依存心と向き合うことで見つけられました。
    そういう意味で依存心は僕の案内役だったのです。
    それを遠ざけるのではなく、その気持ちと向き合うことで依存心を癒せているようです。
    依存心を感じる時は、癒して欲しい感情があるんだと自分を大切にしています。
    依存心と感じながらの依存はバランスの良いものだと感じます。
    依存という感情の向こう側にある本当の自分の気持ちこそが見つけてほしがっている…みたいな…。
    長文で失礼しました…。 多謝。

  2. より:

    パートナーとの関係においても
    友達関係においても
    この記事に書いてくださったようなことを
    考えさせられる事が起きています。
    相手に依存してばかりで、辛い思いをする。
    それの繰り返しでした。
    これからは自分の感情と向きあって
    ゆきたいです。
    「自分のしたいことをやっている」という
    思いがあれば相手がどうあっても
    左右されないですね。
    また、ここに書かせて頂くことで
    依存するということを手放せるような気がします。
    ありがとうございます。

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