胡散臭さの向こう側にあるもの(4)確かな光明はある

潤治の徒然草
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
光はいつも差し込んでいる 見上げてみよう
AQUAMIXT 潤治です。

先日までメルマガ、ブログで書いていた「胡散臭さの向こう側にあるものシリーズ」
多くの反響をいただき、ありがたいかぎりです。

胡散臭いという視点で人生の可能性を狭めることは誰にでもあると思います。
それまでに傷つき、悲しんだ記憶がそうさせるのかもしれません。

前回も書かせていただきましたが、すっぱい葡萄がなる人生に僕は陥りがちです。
自分自身の怖れやもどかしさを周りに責任転嫁する合理化のことですね。

あなたは、誰に言い訳する必要も無い人生をおくっていますか?

僕のこの胡散臭いという根拠の無い根拠(?)は、ネットワークビジネスに由来します。

あなたはネットワークビジネスに出合ったことはありますか?
ネットワークビジネスはマルチ商法とも言いますね。

マルチ商法という言葉があまりにも負のイメージが強く、

「マルチ商法」=「ネズミ講」「マルチまがい商法」

という図式を僕たち自身の「恐れ」から受け入れている人は少なくないと思います。
公共のポスターでさえ、「マルチ商法に気を付けて!」と呼びかけている始末ですから。

ネズミ講とねずみ算式に広がっていく流通網には明確な違いがあります。
しかしながら、世間では、それも混合してしまっているかもしれません。

マルチレベルマーケティング(連鎖販売取引)と呼ばれる販売形態です。
非常に合理的なものですが、無限連鎖講、ネズミ講と混合しやすく、
見極めも難しいと僕自身は思います。

利益と被害がわかりにくいですから。
被害者意識を振りかざせば、いつでも被害を訴えるモードになるでしょう、僕ならね。

最近は自己啓発やスピリチュアルなものを掛け合わせた

マルチレベルマーケティングもあるように僕には見えます。

そのような僕の偏った視点で見たアクセス・バーズ(R)の胡散臭いところは、

1日でプラクティショナー(施術者)になれる
→そんなに簡単に?

複数のファシリテーターの講座を受ければ、自分もファシリテーターにもなれる
→お金が循環するシステム、早い者勝ちにならない?

定期的な練習会のようなものを開くことが推薦されている
→広告主、分配者(ディストリビューター)を担がされている気がする

急激に広まっている
→おおもとの理念を全うに理解せずに粗悪な品質も広がりそう

早くからアクセス・バーズ(R)に出合っていたというアピールが飛び交う
→早い者勝ち思考と先駆者アピールはセルフイメージの低さかな(字余り)

人生を変えられるというモチベーション
→熱い目標設定ほど、周りを疲弊させるように思える、そして一面狂気に。

もう、これ、ネットワークビジネスのそれと同じ感じがしたわけですね、
僕の被害者モード&偏見センサーが。

ビンッビッーン!(偏見センサー受信中)

では、ネットワークビジネスのそれとは、

登録すれば販売店になれる
→ひとりでしっぽりと楽しみたいだけなのに(愛用者として)

ある程度のお金を出せば、代理店になれる(ビジネス志向になりがち)
→在庫を抱えるシステム、いきなり?

海外で急激に広まって日本上陸(現れては消えていくネットワーク企業)
→人はそれを「チャンス」と言って煽る

セミナーやグループミーティングがある
→会社員のような束縛を感じてしまう

既得権益を訴える人たちがいる
→ライン替えを良しとせずに愛用者をモノのように扱う(あなたの下につけるから的な)

アップラインとダウンラインの関係
→紹介してくれたのはありがたいけど、偉ぶらないで。

人生を変えられるような期待感
→商品よりも、サービスよりもココが流通したりする
(淡くマネーゲームの味がする)

などなど。

ダブって見えるわけです。

損得勘定
射幸心
既得権益
差別心 選民意識
虚栄心
抱え込みたい欲求
依存心
貢献という大義を纏った代償行為

といった人のエゴも見え隠れするわけです。
(お前は聖人君子か!?と僕自身にツッコミを入れたくなります。)

連鎖販売取引という経済の小難しい言葉を使うと理解しづらいですが、

結局、流通するものの多くは

「その人の肥大化されたエゴ」と僕は感じています。
そうでなければ、ここまでの負のイメージを
ネットワークビジネスが背負うことはなかったように思います。

「人の欲がいかんのぉ。ビジネスシステムは悪くないんだがのぉ。」
と僕の心の中にいるお爺ちゃんが嘆いています。

損得勘定、射幸心、既得権益、差別心、虚栄心、抱え込みたい欲求、

貢献という大義を纏った代償行為、過剰な人生を変えたい熱、
などが商品やサービスに乗っかっているというわけですね。
僕の偏見からの世界観では。

ネットワークビジネス(連鎖販売取引)が、真っ当に機能し、人を幸せにするとしたら、
(ココはテストに出したいと思います。)

扱う人が、楽しい、好奇心、遊び心、

誰にも認めてもらわなくても良い自己完結している心を持ち、
流通するものに対する見返りは「おまけ」として
考えることができているかどうかでしょうか。

それくらい、その商品やサービスに自己満足して、

健全に愛せているということですね。
ネットワークビジネスを健全な自己満足で、
軽やかに楽しんでいる人も少なくありませんから。

今後、アクセス・バーズ(R)は人が持つさまざまな「怖れ」「不安」などのエゴも解き放ち、

これから広まっていくと思います。

そういう意図も創始者の中にあるのかもしれません。
人のエゴが僕たちを永遠に制限するものではないという思いが。

そして、また、今回の記事のように僕が持つ偏見の世界は、

残念ながら(?)AQUAMIXTの周りでは実現しないでしょう。

ちょっと、その偏見の世界を垣間見たい気持ちもありますが、

僕の人生はそこにかまけているほど長くはないようです。

胡散臭いの向こう側にある、

確かな光明に僕たちAQUAMIXTが担っていければと想います。

アクセス・バーズ(R)も素粒水も。
これから、僕たちが選択する世界も。

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