たまにはドラマにおぼれる、それもいいだろう?

アクセス・コンシャスネスTM

「彼はポラリティ中毒」シリーズを数回に分けて書いていますが、僕たちは人生にいつの間にかドラマ・トラウマを持ち込み、日常をダイナミックに生きる傾向があります。

逆境にくじけるな!と言って人生に背水の陣を敷く
やればできる!と言ってやりたくないことなのに頑張る
劣等感を克服するために必死になって努力する
創り出した罪悪感を消すために罪滅ぼしのように貢献を誓う
憧れの人を目指し、一番素敵な自分を否定し生きる

など、僕によくある傾向です。862dc05723a2fcf1b6515901950b0965_s

そのような影響を感じる時、いつも自問します。

「本当に、今のわたしはわたしだろうか?」

自分の中にあぶり出される、隠している感情。
無意識に判断基準を決定してしまう思考。
本当の思いとはほど遠い感覚。

そして、僕たちは何かしらの影響を受けて生きています。

僕の人生に多大なる影響を与えたテレビドラマがあります。
それは木村拓哉主演の月9ドラマ「ロングバケーション」。

「月曜日はOLが街から消える」と週刊誌などで言われ、このドラマの影響でピアノを習い始める男性が増えるなど「ロンバケ現象」なる社会現象を巻き起こした作品。SMAPの木村拓哉は、本作で連続ドラマ初主演を務め、国民的人気を得ていくきっかけとなった。
(ウキペディアより抜粋)

また、別の説明としては、

タケテツ(武田鉄矢)主演の「101回目のプロポーズ」以来、水本潤治にピアノを弾けるようになりたいと本気で思わせた作品。しかしながら、完全に邪な動機なために、トム・クルーズに憧れて英会話をマスターしようとした時と同じく数日でその情熱は消え失せる。デート時はカラオケルームに女子を軟禁し、主題歌である「LA・LA・LA LOVE SONG」を数回にわたり浴びせるという「ジャイアンリサイタル状態」が横行した。
(水本潤治の想い出より抜粋)

さて、テレビや小説、コミックなどの好きなドラマ、ストーリーは時に僕たちの人生に大きな影響を与えることがあります。

スポ根世代と言われる僕の世代…。
中高生の頃の部活では、「根性論」が盛んでした。
苦労して勝ち取るなんてストーリーは今でもワクワクします。
僕は調教済でしょうか?w

それを何かしらの影響で取り入れた「視点」のひとつだと距離を置いて観ることができれば良いのですが、それが唯一無二の視点として自分を制限するものになるとしたら、人生がもたらす可能性も狭まってしまうと僕自身は感じています。

しかし、すべてを否定し、ドラマ・トラウマを排除することも、悪者にすることも意味の無い排他的な思考です。

僕自身はそのドラマ・トラウマの効果も大好きです。
今はたしなむ程度で、泥酔することはありません。

逆に厳しく排除しようとする心は、そのパワーに翻弄されると僕自身は感じています。

大学生の頃、友人のチェリーボーイが、
「オレ、女性自体にあまり興味が無いんだよね。恋愛の必要性を感じていないんだ。女性と付き合うことのリスクを考えるとひとりでいるのが楽だよ。」と僕に「女性無関心論者」を氣取ってくれました。

しかし、その後、後輩の女子と付き合いだし、授業をサボってホテルへ行く、男子の友人とは約束を破り、彼女優先で不義理を重ねる、バイトはデート代を捻出するために卒業が危ぶまれるほどにシフトに入る、などの変貌ぶりでした。

僕はひとりでその様子を「逆襲のチェリーボーイ」と呼んでいました。
その彼もその彼女とのあまり長くない交際期間を終え、しらふに戻りました。僕はバカにしてあげました。

さて、

何ものも排除せず、許容し、すべてのモノを味方にして生きられるとしたら、どう生きるでしょうか?

どんなパワーを発揮しますか?

批判や批評などする必要が無いくらい自分の人生を無尽蔵に感じられるとしたら?

どんな人生をおくるでしょうか?

たまにドラマ・トラウマにおぼれることも許してくれますか?w

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