禁じられた遊び… それはトラウマになることもある…

僕がまだ小学生にあがる前のこと。

幼稚園や保育園に行っていませんでしたから、昼間はテレビを観ているか、ひとりでふらふらと遊んでいるか、でした。

たまに近所の女の子と遊ぶことがあり、僕の友だちはその女の子ひとりでした。
たしか、僕よりもひとつ年下だったような…。

当時は、なぜそうしたかあまり記憶はないのですが、ふたりで部屋で遊んでいるうちにキスをしようということになりました。

暇だったのか?
好奇心なのか?
テレビの真似っこをしたいのか?

ふたりで抱きしめ合いながら、畳の上をゴロゴロし、キスをするという遊びに興じました。

次第にエスカレートし、もみくちゃになって、お互い、ボルテージがあがり、興奮していきました。

その瞬間、何かいけないことをしているような気になりました。
お互い、何か気まずい雰囲氣になり、そのたわむれは終わりました。

そして、それからしばらく、その彼女と遊ばなくなったのを覚えています。

「禁じられた遊び」だったのでしょうか。

その後、その彼女との記憶は途絶えます。

いったい何を思ってそうしたのか?何がしたかったのか?何を怖れたのか?は、大人になる前の「原体験」のようなものになったのかもしれません。

「親密」になる怖れかしら?

AQUAMIXT には幼少期の性的なトラウマのご相談も多いです。
その時に何が起こったのか?がよく分からずに、得体の分からない怖れを培養し、その後のパートナーシップや異性関係に何かしらの投影をすることが多々あります。

セクシャリティを何か取り扱い注意のようなものにすることもあるでしょう。
一切、アンタッチャブルなものとしてしまうことも、まるでこの世にセクシャリティが存在しないかのように振る舞うこともあるかもしれません。

はじめて、セクシャリティに接触した時、その周りにいる人たちの態度は大切なように思います。子育てにも通じるでしょうか。

大げさに捉えたり、価値観を投影して叱ったり、怖がったり、心配したり。

その周りの人たちの態度で、その受け取り方も変わっていきます。

さて、セクシャリティとどのような関係でいるかはカウンセラーとして求められるものだと僕自身は思っています。

ありのままに接するために、自分自身の中で「セクシャリティ」と和解しているほうが望ましいように思います。

セクシャリティの問題は、思考に靄がかかりやすいので、また、ワークショップや個人レッスンなどもしていきたいなと思っています。

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