元祖スピリチュアル女性誌「TRINITY」のWEB版「Trinity WEB」にて
潤治と寛子のアラフォー育児コラム『スピリチュアル子育て』をテーマに更新しています。
結婚から11年目、40代になってから私たち夫婦を選んでやってきた新しい命。
何年も天界で待っていてくれたこと、お腹の中にいたときの胎話や、出生時のシンクロニシティ、慣れない育児の中で子どもの持つ素晴らしい感覚に愕く日々…などを綴っています。
新しい家族、娘の小葉がもたらす人生の祝福はとても多いと日々感じています。
時には人生でクリアにしていたと思っていたこと、もう卒業した?と思ったいたようなテーマをほじくり返して、あらたに僕たちの成長の糧にしてくれます。
いい加減、観たくない自分自身の感情もあります。
依存心や内なる暴力性、コントロールや期待などは僕のその筆頭にあげられる感情でしょうか。
子育てをしていると、自分がどう生きたいのか、どういう人生を望んでいるのかを真剣に考える機会を与えられるように思います。
子どもの人生に自分を投影して、自分の人生から逃げ出すことも多々あります。
「子どもの問題」などと言いながら、自分の抑えていた感情的なテーマであることがほとんどです。
僕の「愛している、好きという氣持ち」も、娘は分かりやすく僕に鏡で見せてくれます。
おおかた、僕の期待からのコントロールやこうあるべきという視点の押し付け、劣等感や罪悪感の贖罪です。
「本当に、人を愛するって何なのだろう?」
と僕はとても自信を失ってしまいます。
こんなにも好きなのに、その表現方法は「誤作動し続けている僕の心」が担っているという感じでしょうか。
パートナーシップでもさんざん対峙してきたテーマでしたが、相手が変わるとまた違う視点で同じテーマを見せてくれるのか…?と神さまに文句のひとつも言いたいです。
天使は言います。
「愛とは見守ること、相手を解放してあげること」
聖人君子ではないので、僕にはとてもその道のりがしんどくなることがあります。
たどり着くかはわかりませんが、その方向に針路はとろうと思っています。
「ぬか喜びと自己嫌悪」の繰り返しです。
いっそのこと、相手を「こういうものだ」とラベリングして、心が激しく揺さぶられるようなことから逃避したいと感じる僕もいます。
こんな気持ちも湧きあがってくるかもしれません。
「娘のことを理解できるのはわたしだけ…」
「娘は僕がいなければ何もできない。」
「本当はいい子なのよ。それが僕以外の人には解ってもらえないの。」
「きみには無理だよ、貸してごらん。きみのことは僕が一番解っているんだから。」
「相手を愛している、好き」という氣持ちで自分を正当化し、相手の問題を自分のことのように所有し、相手の責任能力や解決行動能力を奪ってしまうこともあるかもしれません。
夫婦、家族、恋人、親子ではありがちなパターンです。
いつでも観たくない自分の姿です…正直。
愛とは、もう少し違う穏やかな感情を持ち続けたいと思う今日この頃です。
感謝や応援、喜びや安らぎ、でしょうか。
「愛」はすでに多くの人からの価値観が投影され、
取扱注意のものになっているように僕は感じています。
「ぬか喜びと自己嫌悪」をくり返しながらも、成長していきたいです。