
マスターは東儀 宗介(とうぎ そうすけ)、かつて天使だった頃の名は、メネフィール (Menephiel)。
仕事帰りや週末に通う常連OKは、小鳥遊 紬(たかなし つむぎ)、28歳。中堅デザイン事務所のグラフィックデザイナー。
仕事帰りの紬は、いつものように『刻詠珈琲店』の重厚な木の扉を開けた。外は宵闇に包まれているが、東の空には、丸く輝く満月が静かに浮かんでいる。
カウンターに座ると、マスターの東儀宗介が、いつものように静かに迎えてくれる。
「宗介さん、こんばんは。今夜は満月ですね。私、仕事が終わってから急いで来たんです!なんか、満月ってすごくパワーがあるって聞くから、その日に引いたら、いつもよりすごいメッセージがもらえるんじゃないかなって、期待しちゃって!満月の夜にカードを引くと、本当に特別に効果があるんでしょうか?」
「いらっしゃい。今日もお疲れさまでした。どうぞ。」
宗介は、いつもより少し濃いめに淹れたらしい、深みのある香りのコーヒーを、紬の前に静かに差し出した。紬は熱いコーヒーを一口飲むと、張り詰めていた緊張の糸が、すっと緩むのを感じたようだ。
「今日も素敵な質問ですね。紬さんの知的好奇心にいつも敬服していますよ。」宗介はとても嬉しそうに話し始めた。
「満月の夜にカードを引くこと、ですよね?月が満ちている時ですもの、何かしら効果がありそうですよ。ただ、大切にしたいなと思うのが、満月そのものに、カードのメッセージを変えるような力があるわけではないということでしょうか。としながらも、満月は、紬さんの心という鏡を、より鮮明に照らし出す『光』となります。」
「えっ、そうなんですか?てっきり、満月のパワーで、カードが光り輝くような…、そういう特別なことが起こるのかと…。」紬は拍子抜けした声を出した。
「カードは、あくまで紬さんの心の状態を映しだします。満月は、地球の潮の満ち引きに影響を与えるように、私たちの心の深層にも強い影響を及ぼすようです。ですから、古くから、満月は『達成』と『手放し』の象徴とされてきました。これまで積み重ねてきた努力が満ちる時であり、同時に、もう手放すべきもの、感謝と共に区切りをつけるべきものを示す時でもある、ということを示すことがあります。そして、そのエネルギーが、紬さんの心を静かに揺さぶり、リーディングへの集中力を高めてくれると思いますよ。」宗介は懐古しているような目で語った。
「じゃあ、満月がメッセージを強くするんじゃなくて、私がメッセージを受け取りやすくなるってことなんですね!」紬はキラキラとした目をしながら、宗介に話した。
「そう、その通りです、紬さん。たとえば、このカフェにある古書の中には、月を司る大天使ハニエルについての記述があります。」
宗介は、カウンターの奥にある重厚な古書を指差した。
「ハニエルは、月のサイクルと深く結びついた存在だとされている。この文献によれば、ハニエルは、私たちが自分自身の内なる感情や、直感、そして隠された才能と向き合うのを助けてくれると書かれています。『静寂の中で、あなたの内側にある美しさと知恵に耳を傾けよ』というのが、ハニエルのメッセージの核心のようですね。満月の夜は、そのハニエルのエネルギーが最も高まる時ということです。」
「月のサイクルと結びついた大天使…、なんだか、ロマンチックですね。」
「満月は、感情を増幅すると言われています。
紬さんがこれまで隠してきた感情や、仕事のストレスの影響で見ないふりをしてきた課題、あるいは、気づいていない輝かしい才能まで、満月の光はすべてを照らし出してくれますよ。
それは、紬さんに『大丈夫、自分自身と向き合いなさい』と促す、優しいけれど、強い光です。だからこそ、満月の夜にカードを引くことは、紬さんが『今、私が本当に向き合うべきことは何でしょうか?』という問いを、最もクリアな状態で自分自身に投げかけるための、最高の儀式になると思います。たとえ、仕事で疲れていても、この満月の光のもとでは、その心に最も強く『気づき』の光が当たる状態を作り出してくれます。」

「わぁ…!じゃあ、満月の日にカードを引くのは、その光の力を借りて、自分自身の深いところにアクセスする儀式ってことなんですね!」
「そうです、紬さん。満月のエネルギーは『満ちる』と『手放す』ですもの。ですから、リーディングの意図を立てる時は、『私は何を手放すべきか』、つまり、もう役に立たない古い考え方や、人間関係における不要なこだわりを感謝とともに解放することが必要になっていきます。あるいは、『私の才能をどう活かせるか』、つまり、満ちたエネルギーをどう次なる行動へと繋げるのか、そういった問いを心に強く描き、カードを引くといいですよ。満月は、その意図を増幅させ、より深い答えを引き出してくれます。満月は、紬さんがその人生をより良く生きるための、偉大な触媒なのです。」
「私、今日は急な会議の準備を頼まれて、ちょっとイライラしてたんですけど、そのイライラを感謝とともに手放す、っていう意図でカードを引いてみます!ありがとうございます!」
「いいですね、その調子です。」





